はじめに
パンデミックは博物館経営の前提を問い直した
パンデミックは、博物館に大きな変化をもたらしました。休館、入館制限、観光客の減少、教育プログラムの中止、企画展収入の減少など、博物館の運営は多方面で影響を受けました。これらは一見すると、感染症拡大という非常時に生じた一時的な問題のようにも見えます。しかし、より重要なのは、パンデミックが博物館経営の前提そのものを問い直す契機になったことです。
これまで多くの博物館は、来館者が実際に館を訪れることを前提に運営されてきました。来館者が展示を見て、企画展に参加し、ショップやカフェを利用し、教育プログラムやイベントに参加する。そのような来館を起点として、博物館の学習機能、収益構造、広報活動、地域への波及効果が形づくられてきました。つまり、博物館経営の多くは、「人が博物館に来ること」を当然の出発点として組み立てられていたのです。
しかし、パンデミックによって来館そのものが制限されると、この前提は大きく揺らぎました。来館者が減少すれば、入館料収入だけでなく、企画展収入、物販収入、飲食収入、イベント収入、施設利用収入なども同時に影響を受けます。また、学校団体の来館や観光客の地域回遊が止まれば、博物館の教育的役割や地域経済への貢献も見えにくくなります。このことは、来館を前提とした博物館経営が、危機時には非常に脆弱であることを示しました。
一方で、博物館は単なる展示施設ではありません。博物館は、資料を保存し、展示する場であると同時に、観光、ヘリテージ、地域体験と結びつきながら、人々が歴史や文化の意味を理解する場でもあります。博物館、ヘリテージ、観光は相互に関係しながら、来館者の学びや地域への関心を形成していくものとして捉えることができます(White, 2023)。この視点に立つと、パンデミック後の博物館経営では、展示室の中だけでなく、博物館と社会がどのような接点を持つのかを広く考える必要があります。
したがって、パンデミック後の博物館経営において問われているのは、単に来館者数を元に戻すことではありません。人が来られない状況でも、博物館はどのように社会的価値を発揮できるのか。現地での体験とオンラインでの接点を、どのように組み合わせるべきなのか。地域、学校、家庭、観光と博物館の関係を、どのように再設計するべきなのか。この記事では、こうした問いを「来館依存からハイブリッド型運営へ」という視点から整理していきます。
パンデミックは博物館経営の何を変えたのか
来館を前提にした経営モデルの脆弱性
パンデミックが博物館経営に与えた影響を考えるとき、まず注目すべきなのは、来館者数の減少そのものではありません。より重要なのは、これまでの博物館経営が、来館者が実際に館を訪れることを起点に組み立てられていたという点です。来館者が展示を見て、企画展に参加し、ショップで図録やグッズを購入し、カフェを利用し、講座やイベントに参加する。その一連の行動によって、博物館の収入、教育普及、広報効果、地域への波及効果が生まれていました。
パンデミック以前の博物館経営では、この「来館」を前提とした仕組みが比較的自然なものとして受け止められていました。入館料収入はもちろん、企画展の観覧料、ミュージアムショップの売上、カフェやレストランの利用、講演会やワークショップの参加費、施設貸出など、多くの活動が来館者の存在に支えられていました。さらに、学校団体の来館は博物館教育の重要な機会であり、観光客の来館は周辺地域の飲食、交通、宿泊、買い物にも波及していました。
しかし、パンデミックによって休館や入館制限が行われると、この仕組みは一気に揺らぎました。来館者が減少すれば、入館料だけが減るわけではありません。企画展の収入が減り、ショップやカフェの売上が落ち、イベントや講座が中止され、学校団体の利用も難しくなります。観光客が減れば、博物館を起点とした地域回遊も弱まります。つまり、来館者数の減少は、博物館の一部の収入に影響するのではなく、博物館の活動全体に連鎖的な影響を及ぼすのです。
このことは、来館を前提とした博物館経営の脆弱性を明らかにしました。来館者が多い時期には、展示、教育、収益、地域連携がうまく循環しているように見えます。しかし、その循環が来館者の物理的な移動に強く依存している場合、休館や移動制限のような危機が起きると、複数の機能が同時に停滞します。博物館が社会的価値を持っていても、その価値を届ける経路が展示室への来館に偏っていれば、危機時には十分に機能しにくくなるのです。
パンデミック後の博物館経営では、単に休館前の状態へ戻ることではなく、既存のビジネスモデルを見直し、持続可能な運営のあり方を再設計することが課題となりました。COVID-19後の博物館経営を対象とした調査でも、博物館がパンデミックに対応するために従来のビジネスモデルを大きく変化させていたことが示されています(Choi & Kim, 2021)。
ここでいうビジネスモデルの見直しとは、博物館を単純に収益施設として捉え直すという意味ではありません。むしろ、博物館がどのように社会と接点を持ち、どのように価値を届け、どのように支援を得るのかを再設計することです。来館者を増やすことは今後も重要ですが、それだけでは十分ではありません。来館できない人にも情報や学びを届ける仕組み、地域や学校と継続的につながる仕組み、デジタル上で関心を育てる仕組み、会員や寄付者との関係を深める仕組みが必要になります。
つまり、パンデミックが変えたのは、博物館の一時的な運営方法だけではありません。博物館が来館者に依存して価値を届けてきた構造そのものが問われるようになったのです。パンデミック後の博物館経営では、来館者を館に戻す努力と同時に、来館だけに依存しない経営モデルを構築することが求められます。
来館者数だけで博物館の価値を測れるのか
「何人来たか」から「どのように関わったか」へ
博物館経営において、来館者数は重要な指標です。どれだけの人が博物館を訪れたのかは、展示や企画展への関心、広報の到達度、地域における利用状況を示す基本的な情報になります。公共施設としての博物館にとっても、来館者数は説明責任と関係しています。限られた予算や人員の中で運営される以上、どれだけ多くの人に利用されているのかを示すことは、博物館の必要性を社会に説明するうえで欠かせません。
しかし、パンデミック後の博物館経営では、来館者数だけで博物館の価値を測ることは難しくなっています。なぜなら、博物館の活動は、展示室に来た人だけに向けられているわけではないからです。たとえば、ウェブサイトで収蔵品情報を見た人、SNSで展示に関心を持った人、オンライン講座に参加した人、学校教材を使って学んだ児童生徒、地域活動を通じて博物館と関わった住民も、博物館の価値に触れている人々です。
パンデミック以前にも、博物館には教育普及、地域連携、調査研究、資料保存といった多様な役割がありました。しかし、パンデミックによって来館が制限されたことで、展示室の外で博物館がどのように価値を届けるのかが、より明確に問われるようになりました。来館者数が減少しても、オンライン発信によって多くの人に情報を届けることはできます。学校にデジタル教材を提供すれば、来館できない子どもたちにも学習機会を届けることができます。地域住民と継続的な関係を築けば、博物館は観光客だけでなく、地域社会にとって必要な文化的拠点として機能します。
このように考えると、博物館の評価軸は「何人来たか」だけでは不十分です。もちろん、来館者数を軽視してよいということではありません。来館者数は、博物館がどれだけ利用されているかを示す重要な指標です。しかし、それに加えて、「誰と関係を築いたのか」「どのような学びを生み出したのか」「どのような人々にアクセス機会を提供したのか」「来館後も関心が継続しているのか」といった視点が必要になります。
たとえば、ある展示に1万人が来館したとしても、その体験が一回限りで終わってしまえば、博物館との関係はそこで途切れてしまうかもしれません。一方で、来館者数はそれほど多くなくても、学校教材として継続的に使われたり、地域住民の記憶を記録する活動につながったり、SNSを通じて継続的な関心を生み出したりする場合があります。その場合、博物館の価値は単純な人数だけでは測れません。
博物館の利用者は、単に展示を見る外部の来館者としてだけでなく、博物館の活動を支え、広げる関係者として捉える必要があります。パンデミック後の博物館経営では、利用者を外部の受け手ではなく、博物館の価値形成に関わる存在として位置づける視点が重要になっています(Choi & Kim, 2021)。
この視点は、博物館経営にとって重要です。来館者は、展示を見て帰るだけの存在ではありません。展示の感想を共有する人、SNSで情報を広げる人、家族や友人に来館を勧める人、ワークショップに参加する人、寄付や会員制度を通じて支援する人、地域の記憶や資料情報を提供する人でもあります。つまり、来館者や利用者は、博物館が社会に価値を届ける過程に関わる存在なのです。
パンデミック後の博物館評価では、「何人来たか」という量的な指標に加えて、「どのように関わったか」という関係性の質を見ていく必要があります。オンライン接触、学校教育への貢献、地域連携、SNS上での関心形成、会員や寄付者との継続的な関係は、いずれも博物館の社会的価値を示す重要な要素です。来館者数を中心に据えながらも、それだけに依存しない評価の枠組みを持つことが、パンデミック後の博物館経営には求められます。
ハイブリッド型運営とは何か
展示室だけで完結しない博物館へ
パンデミック後の博物館経営を考えるうえで重要になるのが、「ハイブリッド型運営」という視点です。ここでいうハイブリッド型運営とは、単にオンライン展示を増やすことではありません。現地での来館体験、ウェブサイトやSNSを通じたデジタル接点、学校教育との連携、地域社会との関係、家庭での学習、観光導線との接続を組み合わせながら、博物館の価値を複数の経路で届ける経営のあり方です。
従来の博物館経営では、展示室が活動の中心に置かれやすい傾向がありました。来館者は博物館に来て、展示を見て、解説を読み、必要に応じて講座やイベントに参加します。この体験は今後も重要です。実物資料を前にすること、展示空間を歩くこと、建築や地域の雰囲気を感じることは、オンラインだけでは十分に代替できません。
しかし、パンデミックによって明らかになったのは、展示室に来られる人だけを前提にすると、博物館の社会的価値が届く範囲が限定されてしまうということです。遠方に住む人、学校の授業で学ぶ子ども、外出が難しい高齢者や障害のある人、子育てや仕事の都合で来館しにくい人も、博物館の知識や資料に触れる可能性を持っています。ハイブリッド型運営は、こうした人々との接点をどのように設計するかという課題に関わります。
具体的には、来館前、来館中、来館後をつなぐ体験設計が重要になります。来館前には、ウェブサイトやSNSで展示の見どころを伝え、来館への関心を高めることができます。来館中には、実物資料、展示空間、解説、音声ガイド、ワークシート、対話型プログラムなどを通じて、深い理解を促すことができます。来館後には、関連するオンライン記事、動画、デジタル教材、メールマガジン、会員制度、SNS発信によって、学びや関心を継続させることができます。
このように考えると、ハイブリッド型運営は「リアルかオンラインか」という二者択一ではありません。現地体験とオンライン接点は競合するものではなく、相互に補完し合うものです。オンライン発信によって関心を持った人が来館することもあります。来館後にSNSやウェブ記事を通じて理解を深めることもあります。学校でデジタル教材を使った児童生徒が、後日家族と博物館を訪れることもあります。
また、ハイブリッド型運営は、展示室とオンラインだけの問題でもありません。博物館は、地域社会、学校、家庭、観光地、商店街、交通機関、行政施策とも結びつきます。たとえば、地域の歴史を扱う展示であれば、展示室内の解説だけでなく、地域を歩くマップ、学校向け教材、地域住民への聞き取り、観光ルートとの接続を組み合わせることで、博物館の活動は館内にとどまらない広がりを持ちます。
博物館は、資料を展示する施設であるだけでなく、ヘリテージ、観光、地域体験を結びつける場でもあります。そのため、パンデミック後の博物館経営では、展示室の内部だけでなく、来館前後の情報接触、地域との関係、観光体験との接続を含めて設計する必要があります(White, 2023)。
この視点に立つと、博物館の公共的価値は、展示室の中だけで完結するものではありません。資料を守ること、展示を行うこと、教育プログラムを実施することに加えて、博物館の知識や体験を社会の多様な場面へ届けることが重要になります。ハイブリッド型運営とは、博物館の価値を、展示室、オンライン、学校、地域、家庭、観光導線へと広げていく経営です。
したがって、パンデミック後の博物館に求められるのは、単にデジタル技術を導入することではありません。来館前から来館後まで、現地体験からオンライン接点まで、地域連携から学校教育までを一体として設計することです。そのような複数の接点を持つことで、博物館は危機時にも社会との関係を維持し、平常時にもより広い人々に公共的価値を届けることができるようになります。
デジタル化は展示の代替ではなく接点の拡張である
オンライン展示・SNS・デジタル教材をどう位置づけるか
パンデミック期には、多くの博物館がデジタル化に取り組みました。オンライン展示、SNSでの資料紹介、動画配信、オンライン講座、デジタル教材、収蔵品データベースの公開など、来館できない状況でも博物館の活動を社会に届けるための試みが広がりました。これらの取り組みは、当初は休館や入館制限への対応として始められた面があります。しかし、パンデミック後の博物館経営を考えるうえでは、デジタル化を単なる一時的な代替手段として捉えるべきではありません。
博物館DXという言葉が使われるとき、しばしば展示室をそのままインターネット上に移すことが想像されます。たしかに、オンライン展示やバーチャルツアーは、来館できない人に展示の一部を届ける手段になります。しかし、デジタル化の本質は、リアル展示の代用品を作ることだけではありません。むしろ、博物館と社会との接点を増やし、来館前、来館中、来館後の関係を広げることにあります。
たとえば、来館前の段階では、ウェブサイトやSNSが博物館への関心を生み出す入口になります。展示の見どころ、収蔵品の背景、関連する地域の歴史、学芸員による解説を発信することで、まだ来館していない人にも博物館の存在を届けることができます。SNSで一つの資料に関心を持った人が、後日企画展を訪れることもあります。つまり、デジタル発信は、来館の代わりではなく、来館への導線にもなります。
来館できない人への学びを支える点でも、デジタル化には重要な意味があります。遠方に住んでいる人、外出が難しい人、学校や家庭で学ぶ子どもたちにとって、オンライン展示、動画、デジタル教材は博物館に触れる入口になります。特に学校教育では、収蔵品画像、解説動画、ワークシート、授業用スライドなどを組み合わせることで、実際に来館できない場合でも、博物館資料を使った学びを展開できます。
また、収蔵品データベースやデジタルアーカイブは、一般向けの広報だけでなく、研究や地域学習にも役立ちます。地域の歴史資料、民俗資料、美術作品、考古資料などがオンラインで検索できるようになれば、研究者、教員、学生、地域住民がそれぞれの関心に応じて資料にアクセスしやすくなります。これは、博物館の知識を館内に閉じ込めず、社会の中で活用できる形に開く取り組みでもあります。
パンデミック期の博物館において、デジタル発信やSNSは単なる広報手段ではなく、休館によって失われた社会との接点を維持するための危機管理手段として機能しました。ロックダウン下の博物館を対象とした研究でも、デジタルコンテンツやソーシャルネットワークが、休館という危機に対応するための重要な手段として分析されています(Marzano & Castellini, 2022)。
この点は、パンデミック後の博物館経営にとって重要です。デジタル発信は、平常時には来館前の関心形成や来館後の学習継続を支えます。一方、休館や災害、感染症の拡大などによって来館が難しくなったときには、博物館が社会との関係を維持するための手段になります。つまり、デジタル化は広報施策であると同時に、危機時の事業継続にも関わる経営資源です。
ただし、デジタル化を万能視するべきではありません。オンライン展示を作れば自動的に多くの人が見てくれるわけではありません。SNSを始めれば、すぐに来館者が増えるわけでもありません。継続的な発信には、人材、時間、編集力、撮影技術、著作権処理、システム運用、予算が必要です。とくに小規模館では、担当者が展示、収蔵品管理、受付、教育普及、事務を兼務している場合もあり、大規模なデジタル事業を継続することは簡単ではありません。
そのため、小規模館では、最初から高度なオンライン展示や大規模なデジタルアーカイブを目指すよりも、現実的に続けられる取り組みから始めることが重要です。たとえば、収蔵品を一点ずつSNSで紹介する、展示解説を短い記事として公開する、学校向けの簡単なデジタル教材を作成する、地域の人から聞き取った記憶を記録する、既存の展示の見どころをウェブ上で整理する、といった方法です。
デジタル化の目的は、最新技術を導入することそのものではありません。博物館が持っている資料、知識、解釈、地域との関係を、館外の人にも届く形に編集することです。オンライン展示、SNS、動画配信、オンライン講座、デジタル教材、収蔵品データベースは、それぞれ異なる役割を持っています。重要なのは、それらを個別の施策としてばらばらに行うのではなく、博物館と社会をつなぐ接点として位置づけることです。
パンデミック後の博物館経営では、デジタル化を現地体験の代替としてではなく、現地体験を支え、広げ、継続させる仕組みとして考える必要があります。来館前に関心を生み、来館中の理解を深め、来館後の学びを続ける。そのような接点の拡張としてデジタル化を位置づけることが、博物館DXを一時的な流行で終わらせず、持続的な経営資源にしていくための基本になります。
現地体験の価値はむしろ高まっている
実物資料・空間・場所性をどう活かすか
デジタル化が進むと、博物館の展示はオンラインで見られるようになり、現地に行く必要性が弱まるように見えるかもしれません。たしかに、オンライン展示や収蔵品データベースを使えば、資料の画像、解説、関連情報に自宅や学校からアクセスできます。動画配信やオンライン講座を通じて、展示の背景や学芸員の解説を知ることもできます。この意味で、デジタル化は博物館へのアクセスを広げる重要な手段です。
しかし、デジタル化が進んでも、現地体験の価値が失われるわけではありません。むしろ、情報だけならオンラインで得られる時代だからこそ、実際に博物館を訪れる意味を明確に設計することが重要になります。オンラインで見られることと、現地で体験することは同じではありません。画面上で資料の画像を見ることはできますが、実物資料の大きさ、質感、厚み、重さの想像、保存状態、展示ケースの中での存在感は、オンラインだけでは十分に伝わりにくいものです。
たとえば、美術作品であれば、画面上では色や構図を確認できます。しかし、実際の作品の大きさ、絵具の層、筆触、展示室の照明の中で見える微妙な表情は、現地で向き合うことで初めて感じられる部分があります。考古資料や歴史資料でも同じです。写真では小さく見える資料が、実際には想像以上に大きかったり、逆に非常に繊細で小さかったりすることがあります。こうした身体的な驚きは、実物を前にしたときに生まれます。
また、博物館の現地体験は、資料を見ることだけで成り立っているわけではありません。展示室の空気、照明、静けさ、他の来館者との距離、建築の構造、入口から展示室へ向かう動線も、体験の一部です。さらに、博物館が立地する地域を歩くこと、周辺の歴史的環境に触れること、交通機関を使ってその場所へ向かうことも、来館者の記憶に残る経験になります。
博物館の体験価値は、展示資料だけでなく、建築、場所、移動、地域の文脈と結びついて形成されます。ヘリテージ観光の視点から見れば、博物館は過去を保存する場であると同時に、来館者が場所の意味を経験する場でもあります(White, 2023)。
この視点に立つと、パンデミック後の博物館経営では、単に来館者数を回復させるだけでは十分ではありません。重要なのは、来館者が「なぜここに来る意味があるのか」を実感できるようにすることです。実物資料をどのように見せるのか、展示室の導線をどのように設計するのか、地域の歴史や周辺環境とどのように接続するのかを考える必要があります。
たとえば、オンラインで事前に展示の背景を知ってもらい、現地では実物資料や空間の体験に集中できるようにする方法があります。来館後には、ウェブ記事やデジタル教材を通じて、現地で得た関心をさらに深めることもできます。このように、デジタル接点と現地体験を分けて考えるのではなく、それぞれの役割を組み合わせることが重要です。
現地体験の価値は、情報量の多さだけで決まるものではありません。むしろ、来館者が実物を前にして立ち止まり、空間を歩き、場所の意味を感じ、自分の経験と結びつけて考えることにあります。パンデミック後の博物館には、来館者をただ展示室に戻すだけでなく、現地でしか得られない体験を明確に設計することが求められます。
収入構造はどのように見直されるべきか
入館料依存から収入源の多様化へ
パンデミックは、博物館の収入構造にも大きな課題を突きつけました。来館者が減少すると、最初に注目されやすいのは入館料収入の減少です。しかし、実際には影響は入館料だけにとどまりません。企画展の観覧料、ミュージアムショップの売上、カフェやレストランの利用、講座やワークショップの参加費、施設貸出収入など、来館を起点とする複数の収入が同時に落ち込む可能性があります。
この点は、博物館経営を考えるうえで重要です。平常時には、入館料、企画展、ショップ、カフェ、イベントが相互に支え合い、博物館の活動を補完しているように見えます。たとえば、企画展が来館者を呼び込み、その来館者がショップで図録やグッズを購入し、カフェを利用し、関連講座にも参加するという流れが生まれます。このような循環は、来館者が安定して訪れる状況では有効です。
しかし、休館や移動制限が生じると、この循環は一気に止まります。来館者が来なければ、入館料は減少し、ショップやカフェの利用も減り、イベントや講座も実施しにくくなります。学校団体や観光客が戻らなければ、教育普及や地域回遊にも影響が及びます。つまり、来館を起点とする収入構造は、複数の収入源を持っているように見えても、実際には同じ「来館」という条件に強く依存している場合があるのです。
そのため、パンデミック後の博物館経営では、入館料依存から収入源の多様化へと視点を広げる必要があります。もちろん、公立館や公共性の高い博物館では、公的支援が基盤であることに変わりはありません。博物館は市場原理だけで評価される施設ではなく、資料保存、調査研究、教育普及、地域文化の継承といった公共的役割を担っています。したがって、公的支援を安定的な基盤として確保することは、博物館経営の前提です。
そのうえで、会員制度、寄付、オンライン講座、物販EC、企業協賛、地域連携事業などを組み合わせることが重要になります。会員制度は、単発の来館者を継続的な支援者へとつなげる仕組みになります。寄付は、博物館の理念や活動に共感する人々との関係を深める手段になります。オンライン講座やデジタル教材は、来館できない人にも学びを届けるだけでなく、教育普及活動の新しい展開にもつながります。物販ECは、ミュージアムショップの機能を館外へ広げる方法として考えられます。
パンデミック後の博物館経営では、来館者を起点とする収入だけに依存するのではなく、利用者との関係形成、参加、支援、オンライン上の接点を含めて、持続可能な経営モデルを組み立てる必要があります。COVID-19後の博物館経営を扱った研究でも、博物館が競争力を維持するためにビジネスモデルを大きく変化させていたことが示されています(Choi & Kim, 2021)。
ただし、ここで注意すべきなのは、デジタル化すればすぐに収益化できるわけではないという点です。オンライン展示、動画配信、SNS発信、デジタル教材は、認知拡大や教育普及には有効です。しかし、それらを直接的な収入源にするには、課金の仕組み、継続的な運用体制、コンテンツ制作力、広報力、決済システム、著作権管理などが必要になります。十分な準備がないまま有料化しても、安定した収入につながるとは限りません。
むしろ、デジタル接点は短期的な収益源というよりも、長期的な関係形成の基盤として考える方が現実的です。ウェブ記事やSNSで博物館に関心を持った人が来館する。オンライン講座に参加した人が会員になる。デジタル教材を使った学校が後日来館する。収蔵品紹介を見た人が寄付やクラウドファンディングに参加する。このように、デジタル化はすぐに売上を生む仕組みというより、将来の来館者、支援者、協働者を育てる接点として位置づけることができます。
博物館経営論の視点から見ると、収入構造の見直しとは、単に収益事業を増やすことではありません。博物館がどのような人々と関係を築き、どのような価値に対して支援を受け、どのように公共性を維持しながら持続可能性を高めるのかを考えることです。パンデミック後の博物館には、来館者数の回復を目指すだけでなく、来館に依存しすぎない複層的な収入構造を設計することが求められます。
危機管理は博物館経営の中心課題になった
休館しても機能する博物館をどう設計するか
博物館の危機管理というと、従来は地震、火災、盗難、資料劣化、設備故障などが中心に考えられてきました。これは当然のことです。博物館は、資料を収集し、保存し、次世代へ継承する機関であるため、災害や事故から資料を守ることは最も基本的な責任の一つです。収蔵庫の環境管理、展示室の安全対策、防犯体制、避難計画、災害時の資料救出計画などは、博物館運営に欠かせない危機管理の領域です。
しかし、COVID-19は、博物館の危機管理をより広い経営課題として捉え直す契機になりました。パンデミックがもたらしたのは、資料や施設を守る問題だけではありません。長期休館、入館制限、収入減、スタッフ体制の変更、教育活動の停止、観光客の減少、外部委託先への影響、地域連携事業の中断など、博物館経営全体に関わる危機が同時に発生しました。
このような状況では、危機管理を防災マニュアルや資料保存計画だけで考えることはできません。もちろん、休館中であっても資料管理や施設管理は継続しなければなりません。温湿度管理、害虫対策、防犯、設備点検、収蔵庫の確認などは、来館者がいない状況でも止めることができない業務です。一方で、博物館の役割は資料を守ることだけではありません。教育普及、調査研究、情報発信、地域との関係維持も、博物館の社会的役割に含まれます。
そのため、パンデミック後の博物館運営では、「休館しても機能する博物館」をどう設計するかが重要になります。来館者を受け入れられない場合でも、資料管理を継続できるか。学校向けの学習支援をオンラインで提供できるか。地域住民に向けて情報を発信できるか。職員が分散勤務や在宅勤務を行う場合でも、必要な意思決定や連絡体制を維持できるか。こうした問いは、事業継続計画、つまりBCPの視点と深く関わります。
事業継続計画は、非常時にも組織の重要な機能を止めないための考え方です。博物館の場合、その重要機能には、資料保存、施設管理、職員の安全確保、教育普及、広報、地域連携、財務管理が含まれます。パンデミックは、博物館が平常時の来館者対応だけでなく、非常時にも社会的役割を果たせる体制を持つ必要があることを明らかにしました。
パンデミック後の博物館における危機管理は、休館時の安全確保だけではなく、社会との関係をどのように維持するかという課題を含んでいます。危機管理の観点から見ると、デジタル発信は緊急時の代替措置ではなく、博物館が社会的接点を維持するための経営資源として位置づけられます(Marzano & Castellini, 2022)。
この点で、デジタル発信は危機管理と密接に関係します。休館中でも、ウェブサイトやSNSを通じて収蔵品を紹介することはできます。動画やオンライン講座を通じて、教育普及活動を継続することもできます。メールマガジンやオンラインイベントを通じて、会員や支援者との関係を保つこともできます。これらは単なる広報活動ではなく、危機時に博物館と社会との接点を維持するための仕組みです。
ただし、危機が起きてから急にデジタル発信を始めても、十分に機能するとは限りません。平常時からウェブサイトを更新し、SNSで情報を発信し、学校や地域との連絡体制を整え、デジタル教材やオンライン講座の基盤を作っておく必要があります。非常時の対応力は、平常時の準備によって大きく左右されます。
博物館の危機管理は、資料を守るための専門的な対策であると同時に、博物館の社会的価値を維持するための経営課題です。パンデミック後の博物館経営では、休館しても資料を守り、情報を届け、学びを支え、地域との関係を保つ仕組みが求められます。危機管理を博物館経営の中心課題として位置づけることが、今後の持続可能な博物館運営には不可欠です。
地域社会との関係が持続可能性を支える
観光客向け施設から地域の文化的インフラへ
パンデミックは、博物館と地域社会の関係を見直す契機にもなりました。とくに大きな影響を受けたのは、国際観光や遠方からの来館に依存していた施設です。移動制限や観光需要の減少によって、海外からの観光客、国内旅行者、団体客の来館が減少し、観光客を主な利用者として想定していた博物館ほど、運営上の影響を受けやすくなりました。
もちろん、博物館が観光資源であることには大きな意味があります。博物館は、地域の歴史、文化、自然、芸術を来訪者に伝える場であり、観光客にとってその地域を理解する入口になります。観光客が博物館を訪れることで、地域の文化的魅力が伝わり、周辺の飲食、交通、宿泊、買い物にも波及効果が生まれます。その意味で、博物館は文化観光やヘリテージ観光の重要な拠点です。
しかし、パンデミックは、観光客だけに依存することのリスクも明らかにしました。観光客は、社会情勢、感染症、災害、為替、交通、国際関係などの影響を受けやすい存在です。観光需要が減少すれば、来館者数だけでなく、ショップやカフェの売上、企画展収入、地域回遊にも影響が及びます。観光客に選ばれる施設であることは重要ですが、それだけでは博物館の持続可能性を十分に支えることはできません。
そこで重要になるのが、地域住民、学校、自治体、地域団体との日常的な関係です。地域の人々が博物館を「観光客のための施設」としてではなく、「自分たちの暮らしや学びに関係する施設」として捉えているかどうかは、博物館の持続可能性に大きく関わります。地域の子どもたちが学校教育を通じて博物館を利用すること、住民が地域の歴史を学ぶ場として博物館を訪れること、高齢者が社会参加の場として講座やボランティアに関わることは、観光客の来館とは異なる支えになります。
博物館は、地域の記憶を保存する場所です。地域に残された資料、写真、道具、文書、聞き書き、災害の記録、生活の記憶は、放っておけば失われることがあります。博物館はそれらを収集し、保存し、調査し、展示や教育活動を通じて次の世代に伝えます。この役割は、観光客に向けた魅力発信だけでは説明できません。地域の人々が自分たちの過去を理解し、現在の暮らしを考え、未来へ継承していくための基盤です。
博物館は、観光客に文化遺産を紹介する施設であると同時に、地域の記憶やアイデンティティを現在の社会に伝える文化的インフラでもあります。ヘリテージ観光の文脈では、博物館は過去を展示するだけでなく、地域の歴史を現代の来館者に意味づける役割を担っています(White, 2023)。
この視点に立つと、地域社会との関係は、博物館にとって付随的な活動ではありません。地域との関係は、危機時の支援、政策的正当性、寄付、協働事業、教育普及の基盤になります。日頃から学校と連携していれば、来館が難しい時期にも教材提供やオンライン授業で関係を続けることができます。地域団体と協働していれば、展示や調査に地域の知識を反映できます。自治体と信頼関係があれば、文化政策、観光政策、教育政策の中で博物館の役割を位置づけやすくなります。
観光客向け施設と地域の文化的インフラの違いは、誰にとって必要な場所なのかという点にあります。観光客向け施設としての博物館は、地域外から来る人に文化的魅力を伝える役割を担います。一方、地域の文化的インフラとしての博物館は、地域の人々の日常的な学び、記憶、参加、誇りを支える役割を担います。両者は対立するものではありません。地域に根ざした博物館であるからこそ、観光客にも深い体験を提供できるのです。
パンデミック後の博物館経営では、観光客を呼び戻すことは重要です。しかし、それと同時に、地域社会から必要とされる施設であり続けることが欠かせません。地域住民、学校、自治体、地域団体との関係を日常的に築くことで、博物館は危機時にも支えられ、平常時にも社会的価値を発揮しやすくなります。博物館の持続可能性は、来館者数だけでなく、地域社会との関係の深さによっても支えられているのです。
まとめ
来館依存からハイブリッド型運営へ
パンデミック後の博物館経営において重要なのは、単に来館者数を元に戻すことではありません。もちろん、実際に博物館を訪れ、実物資料を前にし、展示室の空間を歩き、場所の意味を体験することの価値は今後も重要です。博物館の現地体験は、オンラインだけでは代替しにくい学びや気づきを生み出します。
しかし、来館だけに依存する経営は、休館、移動制限、観光客減少、災害、感染症の拡大といった危機に対して脆弱です。来館者が減少すると、入館料だけでなく、企画展、ショップ、カフェ、イベント、学校団体、地域回遊にも影響が及びます。そのため、パンデミック後の博物館には、来館者を戻す努力と同時に、来館できない状況でも社会的価値を発揮できる仕組みが求められます。
その鍵になるのが、来館前、来館中、来館後をつなぐ体験設計です。来館前にはウェブサイトやSNSで関心を高め、来館中には実物資料や空間体験によって理解を深め、来館後にはオンライン記事、デジタル教材、会員制度、地域活動などを通じて関係を継続することができます。このように、博物館の活動は展示室の中だけで完結するものではありません。
デジタル化は、現地体験の代替ではなく、博物館と社会との接点を広げる手段です。オンライン展示、SNS、動画配信、デジタル教材、収蔵品データベースは、来館できない人に学びを届けるだけでなく、来館前の関心形成や来館後の学習継続にもつながります。また、学校、地域、家庭、観光導線と結びつくことで、博物館はより多様な人々に公共的価値を届けることができます。
パンデミック後の博物館経営は、来館依存型の運営から、現地体験、デジタル接点、地域連携、危機管理、収入源の多様化を組み合わせるハイブリッド型運営へと移行していく必要があります。博物館は、展示室の中だけで完結する施設ではなく、地域、学校、家庭、オンライン空間と結びつきながら社会的価値を発揮する文化的インフラとして再設計されることが求められています。
参考文献
Choi, B., & Kim, J. (2021). Changes and challenges in museum management after the COVID-19 pandemic. Journal of Open Innovation: Technology, Market, and Complexity, 7(2), 148.
Marzano, M., & Castellini, M. (2022). Museums and crisis management due to COVID-19: Effects of pandemic and the role of digital and social networks communication. European Scientific Journal, ESJ, 18(19), 37–57.
White, C. (2023). Museums and heritage tourism: Theory, practice and people. Routledge.

