アート思考とは何か?― 問題解決ではなく「何が問題かを再定義する」思考の正体 ―
「アート思考」と聞くと、多くの人は「創造的な問題解決」や「柔軟な発想で課題を乗り越える方法」を思い浮かべるかもしれません。ビジネスや教育の文脈では、アート思考はしばしば、既存の枠にとらわれないアイデアを生み出し、複雑な課題を解決するための思考法として紹介されてきました。しかし、その理解は本当に適切なのでしょうか。
実は、アート思考の本質は「問題をうまく解くこと」にはありません。むしろ、アート思考が向き合っているのは、そもそも何が問題とされているのかという、より手前の段階です。解決策を洗練させる以前に、「その問題設定自体は妥当なのか」「別の見方をすれば、問題はまったく違う姿をとるのではないか」と問い直すところに、アート思考の核心があります。
この点を見落とすと、アート思考は「役に立たない」「結論が出ない」「実務に向かない」と評価されがちです。しかしそれは、アート思考が“問題解決の効率”を競う思考ではないからにほかなりません。アート思考は、問題を前提として受け取るのではなく、その前提そのものを揺さぶり、再構成する思考なのです。
本記事では、アート思考を「創造的な問題解決」としてではなく、「何が問題なのかを再定義する思考」として捉え直します。そのために、まず問題解決という考え方が成立する条件を整理し、次に「問題設定」や「フレーム」という視点から、問題再定義の仕組みを説明します。さらに、マルセル・デュシャン、ジョン・ケージ、そして初代iPodという具体例を通して、問題がどのようにずらされ、組み替えられてきたのかを確認していきます。
アート思考とは何かを理解することは、単に新しい発想法を知ることではありません。それは、私たちが日常的に「問題」だと思い込んでいるものを、一度立ち止まって見直すことでもあります。本記事が、アート思考をめぐる議論を「解決」から「再定義」へと読み替えるための手がかりとなれば幸いです。
問題は最初から決まっているわけではない― アート思考が必要とされる前提条件 ―
複雑な社会では「何が問題か」自体が問題になる
私たちは日常的に、「問題があり、それを解決する」という枠組みで物事を考えがちです。しかし、社会・組織・教育といった現実の場面では、そもそも何を問題とみなすかが自明ではない状況が数多く存在します。少子化、教育改革、文化政策、組織改革といったテーマを考えてみても、そこでは「解決策」以前に、「何が問題なのか」「どこまでを問題として扱うのか」が人によって大きく異なります。
たとえば、ある組織で成果が出ていないという状況があったとしても、それを「人材の能力不足」と捉えるのか、「制度設計の問題」と見るのか、「そもそも目標設定が曖昧なのではないか」と考えるのかによって、導かれる対応はまったく異なります。つまり、問題の定義が変われば、解決の方向そのものが変わるのです。
教育の場面でも同様です。学習成果が上がらないという状況を、「学力が足りない」という問題として捉えるのか、「評価の仕組みが学習を歪めている」という問題として捉えるのか、「そもそも何を学ぶべきかが共有されていない」という問題として捉えるのかで、教育の設計は根本から異なります。ここでは、問題は一つではなく、どの見方を採用するかによって初めて問題として立ち上がるものだと言えます。
このように、現代社会の多くの課題は、単純に「解決すべき問題」が与えられているわけではありません。むしろ、問題そのものが曖昧で、複数の解釈が併存している状況こそが一般的です。アート思考が関与するのは、まさにこの問題が自明でない段階なのです。
ウィキッド・プロブレムが示す「解決以前」の思考領域
こうした問題の性質を理論的に整理した概念として、「ウィキッド・プロブレム」が知られています。これは、社会的・公共的な課題を対象に、問題の定義と解決が切り離せない状況を指すものです。ウィキッド・プロブレムでは、問題を定式化しようとする行為そのものが、すでに特定の価値観や立場を前提とした選択になります。
この枠組みの重要な点は、問題には「正しい定義」が存在しないということです。どのように問題を定義するかによって、見える解決策も、評価基準も変わってしまうため、問題定義と解決は同時進行で絡み合います。そのため、「まず問題を定義し、その後で解決する」という直線的なモデルは成り立ちません。
このような状況では、解決策の巧拙を競う前に、どのような枠組みで状況を捉えるのかが決定的な意味を持ちます。問題をどう定義するかによって、そもそも「解決すべき対象」が変わってしまうからです。ここに、「解決以前」の思考領域が存在します。
アート思考が扱うのは、この解決以前の段階です。与えられた問題を効率的に処理するのではなく、問題がどのような前提や価値観のもとで成立しているのかを問い直し、別の捉え方が可能ではないかを探る。その意味で、アート思考はウィキッド・プロブレム的な状況において、不可欠な思考様式だと位置づけることができます。
問題再定義とは、問題を否定することではありません。それは、問題が成立している枠組みを意識化し、別の枠組みへとずらす試みです。問題が最初から決まっているという前提を手放すところから、アート思考は始まります(Rittel & Webber, 1973)。
問題解決の前に「問題設定」が必要になる理由― 専門職の実践が示すアート思考の基盤 ―
専門家は「問題を解く前に」問題を構成している
問題解決という言葉は、あたかも「解くべき問題」が最初から明確に存在しているかのような印象を与えます。しかし、建築、教育、博物館運営といった専門的な実践の現場では、そのような状況はむしろ例外的です。現実には、課題は断片的で、曖昧で、時には互いに矛盾した要求として現れます。専門家がまず直面するのは、「どう解くか」ではなく、何を問題として扱うのかを定めることです。
たとえば建築の設計において、クライアントから提示される要望は「使いやすい建物にしたい」「地域に開かれた施設にしたい」「コストは抑えたい」といった形で並列的に現れます。これらはそのままでは同時に満たすことが難しく、すべてを等しく「問題」として扱うことはできません。設計者は、敷地条件や利用者像、社会的文脈を踏まえながら、どの要素を中心的な問題として据えるのかを選び取っていきます。ここで行われているのは、解決ではなく問題の構成です。
教育の現場でも同様です。学習成果が上がらないという状況に対して、「教え方が悪い」「学生の意欲が低い」「評価方法が適切でない」といった複数の捉え方が可能です。教育者は、これらの見方の中から、どの視点で状況を捉え、どこに介入するのかを判断します。この判断が変われば、授業設計や評価の方法も大きく変わります。ここでも、問題は最初から一つに定まっているわけではありません。
博物館の実務においても、同じ構造が見られます。来館者が少ないという状況を、「広報が不足している問題」と捉えるのか、「展示内容が特定の層に偏っている問題」と捉えるのか、「そもそも来館者数を成果指標とすること自体が適切なのか」と捉えるのかによって、取るべき行動は根本的に異なります。与えられた状況をそのまま「問題」として受け取るのではなく、どのような枠組みで問題化するかが、実践の質を左右します。
このように、専門家の仕事は、与えられた課題をそのまま処理することではありません。むしろ、雑多で未整理な状況を、扱える形の「問題」として構成し直すところに、その専門性があります。問題設定は、解決に先立つ準備段階ではなく、実践そのものを方向づける中核的な行為なのです。
problem solving の前に problem setting がある
こうした専門職の思考様式を理論的に整理したのが、ドナルド・ショーンによる「problem setting」の概念です。ショーンは、専門家の実践を詳細に観察する中で、現場では明確に定義された問題が与えられているわけではなく、実践者自身が状況を解釈し、問題として構成していることを指摘しました。
ショーンによれば、専門的実践は「技術的合理性」に基づく問題解決だけでは説明できません。実際の現場では、目標が曖昧で、価値が衝突し、正解が一つに定まらない状況が常態化しています。その中で専門家は、状況を一つの見方で切り取り、「この状況では、これを問題として扱う」と定めることで、はじめて行為に踏み出します。この行為こそが、problem setting です。
重要なのは、problem setting が単なる前処理ではないという点です。問題をどう設定するかによって、後続の problem solving の方向性、評価基準、さらには「何が成功とみなされるか」までが決まってしまいます。したがって、問題設定は思考の補助作業ではなく、価値判断を含んだ創造的な思考の仕事だと位置づけることができます。
アート思考が深く関与するのは、まさにこの problem setting の領域です。効率的な解決策を見つけることよりも、状況をどのように捉え、何を問題として立ち上げるのかに焦点を当てる。その意味で、アート思考は problem solving に対立するものではなく、problem setting を引き受ける思考様式だと言えます。問題解決の前に問題設定が必要になる理由は、専門職の実践そのものが、それを要請しているからなのです(Schön, 1983)。
問題は「フレーム」によって立ち上がる― アート思考における問題再定義の仕組み ―
フレームとは何か:問題を成立させる見方の枠組み
問題が最初から客観的に存在しているかのように語られることは少なくありません。しかし実際には、問題は単に「見つけられる」ものではなく、ある見方や前提のもとで初めて問題として立ち上がるものです。この見方や前提の集合を、ここでは「フレーム」と呼びます。
フレームとは、状況を理解するための認知的な枠組みであり、「何に注目し、何を無視し、何を価値あるものとして扱うか」を方向づけます。同じ状況であっても、異なるフレームを通して見れば、まったく異なる問題が浮かび上がります。つまり、問題は状況そのものに内在しているのではなく、どのフレームで状況を見るかによって構成されるのです。
たとえば、ある展示空間で来館者が足早に通り過ぎているという状況があったとします。このとき、「展示解説が難しすぎる」というフレームで見れば、問題は情報設計にあります。一方で、「来館者はそもそも展示を熟読する存在ではない」というフレームで見れば、展示体験の構造そのものが問題になります。状況は同じでも、フレームが異なれば、問題の輪郭はまったく変わります。
このように、フレームは問題を発見するための道具というよりも、問題を成立させる条件だと考えることができます。アート思考において重要なのは、どのフレームが採用されているかを意識化し、それ以外の見方が排除されていないかを問い直す点にあります。
問題再定義とはフレームをずらすこと
問題再定義という言葉から、「既存の問題を否定する」「問題をすり替える」といった印象を受けることがあります。しかし、アート思考における問題再定義は、問題そのものを否定する行為ではありません。むしろ、それは問題が成立しているフレームをずらすことによって、問題の位置や意味を移動させる行為です。
問題を再定義するとは、「この問題は本当にこのレベルで捉えるべきなのか」「別の前提に立てば、何が問題として見えてくるのか」と問い直すことです。ここで重要なのは、再定義が解決策の改善を目的としていない点です。効率化思考では、問題は所与のものとして固定され、より良い解決策を見つけることが目標になります。一方、アート思考では、その問題設定自体が適切かどうかが問われます。
たとえば「業務効率が悪い」という問題を、単に手順の無駄として捉えるのか、それとも「そもそも効率を最優先にする価値観が妥当なのか」という次元で捉えるのかによって、問題の意味は大きく変わります。前者では改善策が求められ、後者では価値基準そのものが問題化されます。ここで起きているのが、フレームのずれによる問題再定義です。
このように、問題再定義は解決を遠ざける行為ではなく、どの方向に解決が向かうべきかを決定づける思考です。問題のフレームを固定したままでは、どれほど優れた解決策も、その枠内でしか機能しません。アート思考は、その枠を疑うところから始まります。
frame creation による問題再定義の理論的説明
問題再定義を理論的に説明する概念として、デザイン研究における「frame creation」があります。これは、問題と解決を分離せず、状況に新しいフレームを与えることで、問題そのものを再構成する思考プロセスを指します。
この考え方では、問題は最初に与えられるものではなく、解決の探索と並行して立ち上がっていきます。実践者は、既存のフレームでは扱えないと感じたとき、新たなフレームを仮に設定し、そのフレームのもとで状況を見直します。その結果、これまで見えなかった問題や可能性が現れます。これが frame creation の基本的な動きです。
重要なのは、ここで行われているのが発想の飛躍や直感的なひらめきではなく、状況理解の枠組みを意図的に組み替える思考操作だという点です。新しいフレームは、状況との往復の中で検証され、修正されながら定着していきます。問題再定義とは、このフレーム生成と調整のプロセスそのものだと整理することができます。
アート思考は、この frame creation を積極的に引き受ける思考様式です。既存のフレームの中で問題を最適化するのではなく、フレームそのものを問い直し、別の見方を導入する。その結果として、問題の意味や射程が再構成されます。ここに、アート思考における問題再定義の仕組みがあります(Dorst, 2011)。
芸術において「問題再定義」は最も純化される― アート思考がアート思考である理由 ―
芸術制作は「問題を解く」より「問題をつくる」営みである
芸術制作は、しばしば創造的な「表現」や「作品制作」として語られます。しかし、その思考構造に注目すると、芸術は単に与えられた課題を解決する営みではないことが分かります。むしろ芸術において中心的なのは、「どのような問いを立てるのか」「何を問題として扱うのか」という、問題形成のプロセスです。
多くの実務的な思考では、問題はあらかじめ与えられ、それに対する解決の巧拙が評価されます。一方、芸術制作では、制作の出発点において問題が明確に定義されているとは限りません。制作を進める過程で問いが変化し、当初は意識されていなかった問題が浮かび上がってくることも珍しくありません。この点に、芸術制作の思考的特徴があります。
創造性研究においても、芸術分野では「problem solving(問題解決)」よりも「problem finding(問題発見・問題形成)」が重要であることが指摘されています。ここでいう problem finding とは、単に隠れた問題を見つけることではなく、何を問題として立ち上げるかを構成する行為を指します。芸術家は、制作を通じて問題を見出し、その問題自体を更新し続けます。
また、芸術においては、成功や失敗の基準が制作の開始時点で固定されていないことも特徴的です。完成した作品がどのように評価されるかは、制作過程では確定しておらず、しばしば事後的に意味づけられます。つまり、芸術制作では「正解に到達したかどうか」ではなく、「どのような問いを立ち上げたのか」が重要になります。
このように、芸術は問題解決の技法というよりも、問題形成の思考様式を極端な形で体現している領域だと言えます。アート思考が「問題再定義」と深く結びつくのは、芸術制作がそもそもそのような思考構造を持っているからです(Getzels & Csikszentmihalyi, 1976)。
マルセル・デュシャンは「何を問題にし直したのか」
―《泉》に見る問題再定義 ―
アート思考における問題再定義を理解するうえで、マルセル・デュシャンの作品《泉》は非常に分かりやすい例です。デュシャンを知らない人にとって、《泉》はしばしば「便器を展示した作品」として語られます。しかし重要なのは、作品の奇抜さではなく、何が問題として移動したのかという点です。
デュシャン以前の近代美術において、芸術家が向き合っていた中心的な問題は、「いかに優れた作品を作るか」というものでした。そこでは、技術、構図、美的完成度、独創性といった要素が評価の軸となり、作品の質をどのように高めるかが問われていました。この枠組みでは、芸術作品は「作者の技能や表現力の結果」として理解されていました。
デュシャンが行ったのは、この問題設定そのものの移動です。彼は、新しい技法や美的表現を提示したわけではありません。既製品である便器を選び、それに署名し、美術展に出品するという行為を通じて、「美術作品とは何によって成立するのか」という別の問いを立ち上げました。ここで問題となったのは、作品の見た目や技術ではなく、選択、文脈、制度、作者性といった要素です。
《泉》によって問われたのは、「これは美しいか」「技術的に優れているか」ではありませんでした。代わりに、「誰が、どのような意図で、どの場に置いたものが美術作品と呼ばれるのか」という、芸術の成立条件そのものが問題化されました。これは、問題を解いた行為ではなく、問題のレベルをずらした行為だと言えます。
重要なのは、デュシャンが美術を否定したわけではないという点です。彼は、美術作品という概念を破壊したのではなく、その成立条件を可視化し、別の角度から問い直しました。その結果、美術は技術や表現の問題から、制度や意味の問題へと射程を広げることになりました。ここに、アート思考における問題再定義の典型的な構造を見ることができます。
ジョン・ケージは音楽の何を問い直したのか
―《4分33秒》に見る問題再定義 ―
音楽の分野において、問題再定義が極端な形で現れた例として、ジョン・ケージの《4分33秒》があります。この作品は、演奏者が楽器を演奏せず、4分33秒間沈黙するという内容で知られています。初めてこの作品を知る人は、「音のない音楽」という説明に戸惑いを覚えるかもしれません。
しかし、この作品の本質は「無音」であることではありません。ケージが問い直したのは、「どのような音を配置すれば音楽になるか」という従来の問題設定そのものです。西洋音楽の伝統では、音楽とは意図的に作られた音の構造だと考えられてきました。その前提のもとでは、作曲とは音を選び、配置し、制御する行為です。
《4分33秒》において、ケージはこの前提をずらしました。演奏中にホールで鳴る咳、衣擦れ、外の音、空調の音などが、聴衆の注意の中に立ち上がります。ここで問われているのは、「音楽とは音そのものなのか、それとも音を聴くという行為なのか」という問題です。ケージは、新しい音を作る代わりに、聴取という経験を問題化しました。
この作品によって、音楽は「作られた音の集合」から、「環境と聴衆の注意が生み出す経験」へと再定義されます。音楽の中心は、作曲家の意図や演奏技術ではなく、聴くという行為そのものに移動しました。ここでも、問題が解かれたのではなく、問題の所在が移動しています。
ケージの試みは、音楽を否定するものではありませんでした。むしろ、音楽という営みが依拠してきた前提を可視化し、その外側に別の可能性があることを示しました。このように、知覚や経験のレベルで問題を再定義する点に、アート思考の特徴が最も明確に現れています。
問題再定義は芸術の外にも現れる― iPodに見るアート思考の射程 ―
iPodは「製品」ではなく「音楽体験」を再定義した
アート思考は、芸術という特殊な領域に閉じた思考様式ではありません。問題再定義という構造は、芸術ほど純化されてはいないものの、ビジネスや技術の領域にも現れます。その代表的な例としてよく挙げられるのが、初代iPodです。ただし、この事例はしばしば「優れたデザイン」や「操作性の改善」といった観点から語られがちであり、その場合、アート思考としての本質が見えにくくなります。
表面的に見れば、iPodは小型で洗練された音楽プレイヤーでした。大量の楽曲を持ち運べる容量、直感的な操作体系、シンプルな外観などは、確かに従来製品よりも優れていました。しかし、これらを単なる機器改善として捉えると、「より良い製品を作った」という問題解決の話に回収されてしまいます。重要なのは、iPodが何を問題として捉え直したのかという点です。
従来の音楽プレイヤーが向き合っていた問題は、「どうすれば良い音で音楽を再生できるか」「どれだけ多くの曲を保存できるか」といった、機器性能に関するものでした。ここでは、音楽はデータであり、プレイヤーは再生装置として位置づけられていました。問題の焦点は、あくまで装置の最適化にありました。
iPodが行った問題再定義は、この前提をずらすことにあります。iPodが中心に据えたのは、「音楽を持ち歩くとは、どのような経験なのか」という問いでした。音楽を単に再生する対象としてではなく、日常生活の中でいつでもアクセスできる存在として捉え直したのです。ここで問題は、機器の性能から、音楽と人との関係性へと移動しました。
この再定義によって、音楽は「聴くもの」から「生活の中に常にあるもの」へと意味づけが変わります。楽曲の管理、選択、持ち運びといった行為そのものが体験として再構成され、プレイヤーは単なる装置ではなく、その体験を媒介する存在となりました。ここでは、どの機能が優れているかよりも、音楽との関わり方全体が問題化されています。
この点において、iPodの事例は、芸術における問題再定義と構造的に共通しています。デュシャンが「作品とは何か」を問い直し、ケージが「音楽とは何か」を問い直したように、iPodは「音楽体験とは何か」を問い直しました。ただし、その目的は芸術的問いの提示ではなく、新しい価値の成立でした。
ここで重要なのは、iPodが最初から成功の指標を明確に定めていたわけではないという点です。どのような体験が支持されるのかは、事前には完全には分かりませんでした。それでも、問題の焦点を機能から関係性へと移動させたことで、それまで存在しなかった価値の空間が開かれました。これは、問題を解いた結果ではなく、問題の位置をずらした結果として理解することができます。
このように考えると、アート思考は芸術専用の思考ではなく、「意味や関係性が問題となる場面」で広く現れる思考様式だと分かります。芸術は問題再定義が最も純化された領域ですが、その構造自体は、ビジネスや技術の領域にも射程を持っています。iPodの事例は、その射程を理解するための分かりやすい例だと言えるでしょう。
なぜアート思考は「問題を解く」思考ではないのか― 問題解決型思考との決定的な違い ―
問題解決型思考が有効に働く条件
問題解決型思考は、決して否定されるべきものではありません。むしろ、特定の条件が満たされている状況においては、非常に強力で有効な思考様式です。その条件とは、第一に「何が問題なのか」が比較的明確に定まっていること、第二に「何をもって解決とみなすか」という評価基準が共有されていることです。
このような状況では、問題は所与のものとして扱われ、思考の焦点は「どの方法が最も効率的か」「どの選択肢が最適か」という点に向かいます。工程の短縮、コスト削減、精度向上など、最適化や効率化の論理がここで機能します。多くの工学的課題や運用改善の場面では、この思考様式が不可欠です。
いわゆるデザイン思考も、この枠組みの中で理解することができます。デザイン思考は、ユーザー視点を取り入れながら問題を明確化し、解決策を反復的に改善していく方法論です。ここでは、問題は探索されるものの、一定の範囲内で定義されており、最終的には「より良い解決策」に到達することが目的とされています。
つまり、問題解決型思考が前提としているのは、「問題は定義可能であり、その解決に向けて改善を重ねることができる世界」です。この前提が成り立つ限りにおいて、問題解決型思考は合理的であり、成果を生みやすい思考様式だと言えます。
アート思考が介入するのは「問題が揺らぐ場面」である
一方で、現実の多くの場面では、問題解決型思考の前提が成り立たないことがあります。何が問題なのかについて合意がなく、評価基準も定まっていない状況では、最適化や効率化は方向を失います。このような場面では、「正しい解決策」を探す以前に、問題そのものが揺らいでいます。
たとえば、組織改革や文化政策、教育の目的設定などでは、「何を成果とみなすか」「何を改善すべきなのか」が人によって異なります。ここでは、問題を解こうとする行為そのものが、特定の価値観や立場を前提としてしまいます。その結果、解決策が対立を深めたり、問題を固定化してしまうこともあります。
アート思考が介入するのは、まさにこの段階です。アート思考は、解決策を提示する前に、「なぜそれが問題だと考えられているのか」「別の見方をすれば、何が問題として立ち上がるのか」を問い直します。ここで行われているのは、解決の放棄ではなく、問題設定の再検討です。
問題が揺らいでいる場面では、効率的な解決を急ぐこと自体が、思考の可能性を狭めてしまうことがあります。アート思考は、その流れを一度止め、前提や枠組みをずらすことで、別の問題空間を開きます。これは、問題解決型思考と対立するというよりも、その前段階を引き受ける思考だと位置づけることができます。
アート思考の定義
以上を踏まえると、アート思考の位置づけは明確になります。アート思考は、問題解決型思考の代替ではありません。また、効率や成果を軽視する思考でもありません。アート思考が担っているのは、問題が確定していない状況において、思考の出発点を整え直す役割です。
アート思考は、問題を効率的に解くための思考ではなく、何が問題なのかを再定義する思考である。
問題を解くことが求められる場面と、問題を問い直すことが求められる場面は異なります。アート思考は後者において機能し、問題解決型思考が有効に働くための前提条件を整えます。その意味で、アート思考は「役に立たない思考」なのではなく、「役に立つ基準そのものを問い直す思考」だと言えるでしょう。
まとめ:アート思考は「役に立たない」のではない― 役に立つ基準を問い直す思考である ―
ここまで見てきたように、アート思考は「創造的に問題を解決する方法」ではありません。むしろ、問題がまだ確定していない状況において、何を問題として立てるのか、その前提や枠組みを問い直す思考です。この点を理解しないままアート思考を評価しようとすると、「結論が出ない」「実務に使えない」「役に立たない」といった印象が生まれやすくなります。
しかし、それはアート思考が無力だからではありません。アート思考が扱っているのは、解決の巧拙を競う次元ではなく、「そもそも何を解決すべきだと考えているのか」という次元だからです。問題が自明であり、評価基準が共有されている場面では、問題解決型思考やデザイン思考が大きな力を発揮します。一方で、目的や価値が揺らいでいる場面では、同じ思考法が十分に機能しないこともあります。
アート思考が介入するのは、そのような「揺らぎ」のある状況です。問題が確定していないにもかかわらず、解決策だけが求められるとき、思考はしばしば空回りします。アート思考は、その流れを一度止め、問題がどのような前提や見方のもとで成立しているのかを可視化します。ここで行われているのは、問題の否定ではなく、問題の位置や意味の再配置です。
芸術の事例で見たように、デュシャンやケージは、既存の価値基準の中でより良い答えを出そうとはしませんでした。彼らが行ったのは、「何が作品なのか」「何が音楽なのか」といった問いを立て直すことでした。同様に、iPodの事例では、製品の性能を競うのではなく、音楽との関係性そのものが問い直されました。これらはいずれも、問題を解いた結果ではなく、問題を再定義した結果として理解できます。
このように考えると、アート思考は「役に立たない思考」なのではなく、「役に立つとされてきた基準を問い直す思考」だと言えるでしょう。解決が求められる前提条件を整え、思考の出発点を組み替える。その役割を担うからこそ、アート思考は時に遠回りに見え、即効性がないように感じられるのです。
アート思考を理解するとは、新しい発想法を身につけることではありません。それは、問題がどのように成立しているのかを問い直し、別の見方があり得ることを受け入れる姿勢を持つことです。その意味で、アート思考は解決のための道具というよりも、思考の地平を広げるための枠組みだと位置づけることができます。

