博物館でウェルビーイング事業をどう立ち上げるか|Five Ways to Well-beingによる実践設計

目次

はじめに:博物館のウェルビーイング事業は何から始めるべきか

博物館でウェルビーイングへの関心が高まるなかで、現場では「何をすればウェルビーイング事業になるのか」が曖昧になりやすくなっています。ヨガや瞑想を行うこと、リラックスできる鑑賞会を開くこと、認知症カフェや社会的処方と連携すること、あるいはスロー・ルッキングのように作品をゆっくり見る時間を設けることは、いずれもウェルビーイング事業の一部になりえます。しかし、これらの個別プログラムを並べるだけでは、博物館ならではのウェルビーイング事業とは言い切れません。

重要なのは、ウェルビーイングを単発イベントの名称としてではなく、博物館活動全体を見直すための視点として捉えることです。博物館には、コレクション、展示空間、学習活動、来館者同士の対話、ボランティアや地域団体との関係など、すでに多様な資源があります。ウェルビーイング事業を立ち上げるとは、それらを来館者や地域社会のよりよい状態にどのように結びつけるのかを設計することです。つまり、新しい「癒やしイベント」を追加する前に、既存の博物館活動が人びとのつながり、学び、気づき、参加、身体的な活動をどのように支えているのかを確認する必要があります。

このとき有効な入口になるのが、Five Ways to Well-beingです。これは、Connect、Be Active、Keep Learning、Give、Take Noticeという五つの観点から、ウェルビーイングを日常的な行動として考える枠組みです。博物館に置き換えれば、人や地域とつながること、展示室や屋外空間を歩くこと、資料や作品から学び続けること、知識や経験を分かち合うこと、目の前のものに注意深く気づくこととして整理できます。博物館のウェルビーイング事業は、この五つの観点から、コレクション、展示、教育普及、参加の機会、地域連携を再設計する営みとして考えることができます(New Economics Foundation, 2008; Cull & Cull, 2023)。

なお、博物館とウェルビーイングの基本的な考え方や、心理的健康、社会的包摂、社会的処方との関係については、博物館とウェルビーイングの関係とはで整理しています。本記事では、その総論を踏まえ、博物館でウェルビーイング事業を新しく立ち上げる際に、何をどの順番で設計すべきかに焦点を当てます。

ウェルビーイング事業を「癒やしイベント」に限定しない

博物館でウェルビーイング事業を考えるとき、まず注意したいのは、それを「癒やしイベント」や「リラックス企画」だけに限定しないことです。もちろん、静かな展示室で作品を見ること、落ち着いた空間で過ごすこと、ゆっくり鑑賞することには、大切な意味があります。しかし、ウェルビーイングを単に気分がよくなることや、ストレスが一時的に軽くなることとしてだけ理解すると、博物館が本来持っている多様な可能性を狭く捉えてしまいます。

ウェルビーイングは個人の気分だけではない

ウェルビーイングは、個人の主観的な満足感だけでなく、人間関係、肯定的感情、困難から回復する力、自己の可能性を実感すること、生活全体への満足などを含む広い概念です。つまり、「気分が落ち着いた」「楽しかった」という一時的な感情だけでなく、自分が誰かとつながっていると感じること、新しいことを学べたと感じること、自分の経験や考えが尊重されたと感じることも、ウェルビーイングに関わります。さらに、ウェルビーイングは個人の内面だけで完結するものではなく、共同体や社会的関係の中で形成されるものでもあります(Cull & Cull, 2023)。

この視点に立つと、博物館のウェルビーイング事業は、来館者を静かに過ごさせるための企画にとどまりません。資料や作品を前にして、誰かと話すこと、地域の記憶を共有すること、自分とは異なる見方に出会うこと、展示空間を歩きながら身体感覚を取り戻すことも、ウェルビーイングに関わる経験になります。博物館でのウェルビーイングは、リラックスだけではなく、つながり、学び、参加、気づきの設計として考える必要があります。

博物館の事業として考えるには「関係性」が重要になる

博物館でウェルビーイング事業を立ち上げる場合、最初に考えるべきことは、どのような癒やしイベントを行うかではありません。むしろ、コレクション、展示空間、解説、ワークショップ、ボランティア、地域団体との連携を通じて、どのような関係性を生み出すのかを考えることが重要です。博物館には、資料と人、人と人、人と地域、人と過去を結びつける機能があります。ウェルビーイング事業は、この機能を意識的に設計し直すところから始まります。

限定的な理解事業設計としての理解
癒やしイベントを行う博物館活動をウェルビーイングの観点から再設計する
気分転換の場を作る資料・空間・対話を通じて関係性を生む
来館者満足度を高める来館者、職員、地域の持続的な関係を作る
外部講師に任せる館のコレクションとミッションに接続する

このように考えると、癒やしやリラックスはウェルビーイング事業の一部ではありますが、それだけでは十分ではありません。博物館のウェルビーイング事業は、外部から健康プログラムを持ち込むことではなく、館がすでに持っている資料、空間、専門性、地域との関係を活かして、人びとがよりよく過ごし、学び、つながるための条件を整えることです。その意味で、ウェルビーイング事業は教育普及、来館者対応、地域連携、職員体制を横断する博物館経営上の課題として捉える必要があります。

Five Ways to Well-beingを実践設計の軸にする

博物館でウェルビーイング事業を立ち上げる際には、最初から個別のイベント内容を考えるのではなく、事業全体を整理するための軸を持つことが重要です。その軸として有効なのが、Five Ways to Well-beingです。Five Ways to Well-beingは、Connect、Be Active、Keep Learning、Give、Take Noticeという五つの観点から、ウェルビーイングを日常的な行動として捉える枠組みです。専門的な医療プログラムを新しく導入するというよりも、人びとが日常生活の中でよりよく過ごすための行動を整理する考え方として位置づけられます(New Economics Foundation, 2008)。

博物館にとって、この枠組みが有効なのは、展示解説、ワークショップ、館内ツアー、ボランティア活動、地域連携など、すでに行っている活動をウェルビーイングの観点から見直しやすいからです。たとえば、展示室を歩きながら資料を見ることは、身体を動かす経験であると同時に、学びや気づきの経験でもあります。作品や資料をめぐって他者と対話することは、知識の共有であると同時に、人と人、人と文化、人と記憶をつなぐ経験にもなります。このように、Five Waysは既存の博物館活動を分解し、どの部分がウェルビーイングに関わっているのかを確認するための実践的な道具になります。

Five Waysは固定的なマニュアルではない

ただし、Five Ways to Well-beingは、どの博物館にも同じ形で当てはめればよい固定的なマニュアルではありません。博物館には、それぞれ異なる使命、コレクション、展示空間、地域性、来館者層、職員体制があります。都市部の美術館と、地域の歴史資料館、自然史博物館、屋外空間を含むサイトミュージアムでは、同じ「Be Active」であっても実践の形は異なります。展示室内を静かに歩くこと、史跡をめぐること、ワークショップで身体を使うことは、いずれも活動的な経験ですが、その設計条件は同じではありません。

そのため、Five Waysを使う際には、五つの項目をそのまま事業名に置き換えるのではなく、自館の文脈に合わせて読み替える必要があります。大切なのは、「この事業は五つのうちどれに該当するか」を機械的に分類することではありません。むしろ、「この活動は、来館者にどのようなつながり、身体的経験、学び、参加、気づきを生み出しているのか」を確認することです。Five Waysは、事業を評価するためのラベルではなく、事業を設計し直すための問いとして使うべき枠組みです(Cull & Cull, 2023)。

Five Ways博物館での読み替え
Connect人、地域、歴史、文化、記憶、他者とつながる
Be Active展示室や屋外空間を歩く、身体を使って鑑賞する
Keep Learning資料や作品を通じて学び続ける
Giveボランティア、寄付、知識共有、地域貢献を行う
Take Noticeゆっくり見る、観察する、スケッチする、周囲に気づく

博物館の文脈に合わせて読み替える

博物館の文脈でFive Waysを読み替えると、ウェルビーイング事業は特別な新規事業だけを意味しなくなります。展示解説ツアーは、学び続ける経験であると同時に、展示室を歩く経験であり、解説者や参加者とつながる経験でもあります。ワークショップは、知識や技術を学ぶ場であると同時に、制作物や感想を共有する場にもなります。ボランティア活動は、来館者を支援するだけでなく、参加者自身が役割を持ち、地域や館との関係を深める機会になります。

このように考えると、博物館のウェルビーイング事業は、まったく新しい活動を外から持ち込むことではありません。むしろ、すでにある博物館活動の中に含まれているウェルビーイングの要素を見つけ、それを意図的に組み合わせ、参加しやすい形に整えることです。Five Waysへの参加度が高い人ほど主観的ウェルビーイングと関連する傾向が示されていることを踏まえると、博物館事業においても、五つの観点を単独ではなく組み合わせて設計することが重要になります(Mackay et al., 2019)。

たとえば、ひとつの展示解説プログラムでも、作品をゆっくり見る時間を設ければTake Noticeになり、展示室を歩く導線を工夫すればBe Activeになります。参加者同士が感想を共有すればConnectになり、資料の背景を学べばKeep Learningになります。さらに、参加者が自分の知識や経験を他者に伝える時間を設ければGiveの要素も加わります。Five Waysを実践設計の軸にするとは、このように博物館活動を多面的に捉え、来館者がより豊かな経験を得られるように構造化することです。

既存事業をウェルビーイングの視点で棚卸しする

博物館でウェルビーイング事業を立ち上げるとき、最初から新しい大型事業を作ろうとすると、予算、人員、専門性、連携先の確保が大きな課題になります。その結果、「ウェルビーイング事業は余裕のある館でなければできないもの」と受け止められてしまうことがあります。しかし、実際には、多くの博物館がすでにウェルビーイングにつながる活動を行っています。展示解説、ワークショップ、学校連携、ボランティア活動、館内ツアー、史跡散策、収蔵品紹介などは、見方を変えれば、人と人をつなぎ、学びを促し、身体を動かし、気づきを生む活動です。

新しい事業を作る前に、既存事業を見直す

ウェルビーイング事業の第一歩は、新しいイベントを追加することではなく、既存事業をウェルビーイングの視点で見直すことです。たとえば、通常の展示解説ツアーであっても、来館者が展示室を歩き、資料を見て、解説を聞き、他の参加者と感想を共有するなら、そこにはすでに複数のウェルビーイング要素が含まれています。ワークショップも、単に制作技術を学ぶ場ではなく、自分の考えを表現し、他者の作品や意見に触れ、参加者同士の関係を生む場として設計できます。

このように考えると、ウェルビーイング事業は、博物館の外側から特別な健康プログラムを持ち込むことだけを意味しません。むしろ、博物館がすでに行っている活動の意図を少し変え、来館者がどのようにつながり、学び、気づき、参加できるのかを明確にすることから始められます。博物館のウェルビーイング実践では、コレクションや展示空間を活かしながら、既存の活動を再構成する視点が重要になります(Cull & Cull, 2023)。

Five Waysで活動を分解する

既存事業を棚卸しする際には、Five Ways to Well-beingを使って活動を分解すると整理しやすくなります。ひとつの事業を「教育普及」「イベント」「地域連携」といった従来の分類だけで見るのではなく、Connect、Be Active、Keep Learning、Give、Take Noticeのうち、どの要素が含まれているのかを確認します。すると、すでにある活動の強みと不足している部分が見えやすくなります。

既存事業含まれるFive Ways改善の方向
展示解説ツアーConnect、Be Active、Keep Learning、Take Notice歩く、見る、話す時間を意図的に設計する
ワークショップKeep Learning、Connect、Give制作だけでなく参加者同士の共有を入れる
ボランティア活動Give、Connect、Keep Learning役割、学び、交流の機会を明確にする
スロー・ルッキングTake Notice、Connect作品をゆっくり見て、感じたことを共有する
史跡散策Be Active、Take Notice、Keep Learning歩行、景観、解説、発見を結びつける

この棚卸しによって、ウェルビーイング事業の設計は具体的になります。たとえば、展示解説ツアーであれば、単に解説量を増やすのではなく、参加者が立ち止まって観察する時間、隣の人と感想を交わす時間、館内を無理なく歩ける導線を意識することができます。ボランティア活動であれば、来館者支援の役割だけでなく、ボランティア自身が学び続け、仲間とつながり、館に貢献していると実感できる仕組みを整えることが重要になります。

このような棚卸しは、大きな予算や専門部署がなくても始められます。必要なのは、既存事業を「何を実施したか」ではなく、「どのような経験を生み出しているか」という視点で見直すことです。ウェルビーイング事業は、特別な事業名を付けることから始まるのではありません。すでにある博物館活動の中に含まれている価値を見つけ、それを意図的に設計し直すことから始まります。

コレクションを中心に据える

博物館のウェルビーイング事業が、一般的な健康講座や福祉プログラムと異なるのは、コレクション、資料、作品、物質文化を介して実施できる点にあります。ウェルビーイングを目的にするからといって、博物館が医療機関や福祉施設と同じ役割を担う必要はありません。むしろ、博物館が担うべきなのは、資料や作品を通じて、人びとが自分の記憶、感情、知識、他者との関係を見つめ直すための場を設計することです。

博物館ならではの強みはコレクションにある

博物館には、長い時間を経て受け継がれてきた資料や作品があります。それらは、単なる鑑賞対象ではなく、人びとが過去と現在を結びつけたり、自分とは異なる文化や価値観に触れたりするための媒介になります。ウェルビーイング事業を立ち上げる際にも、このコレクションの力を中心に据えることが重要です。来館者をリラックスさせることだけを目的にするのではなく、資料や作品を前にして、何を感じ、何を思い出し、どのような問いを持つのかを丁寧に設計する必要があります。

たとえば、地域の歴史資料であれば、来館者が自分の暮らしや家族の記憶と結びつけて考えるきっかけになります。美術作品であれば、色、形、構図、素材、表情などに注意を向けることで、自分の感覚や感情に気づく時間を作ることができます。考古資料や民俗資料であれば、過去の人びとの生活や技術に触れながら、現在の社会や自分自身の生活を見直す契機になります。こうした経験は、単なる知識の習得ではなく、来館者が自分と世界との関係を再確認するプロセスでもあります。

作品や資料を介して、記憶・対話・気づきを生む

コレクションを中心に据えたウェルビーイング事業では、資料や作品を「説明されるもの」としてだけ扱わないことが大切です。来館者が作品や資料を前にして自分の記憶を語る、他者の見方を聞く、過去と現在を結びつける、自分の感覚に気づくといった経験を生み出すことが重要になります。博物館におけるウェルビーイングは、展示物から一方的に知識を受け取ることではなく、資料や作品を媒介として、来館者が自分自身や他者との関係を考えるところに生まれます。

この点で、対話型鑑賞、スロー・ルッキング、スケッチ、ハンズオン、記憶を語るワークショップなどは、コレクションを活用したウェルビーイング事業として位置づけることができます。ただし、これらの方法も、単に流行しているから導入するのではなく、自館の使命やコレクションの性格に合わせて設計する必要があります。博物館のウェルビーイング実践は、コレクション、空間、参加者、職員、地域との関係を結びつけることで、博物館ならではの意味を持ちます(Cull & Cull, 2023)。

とくに美術作品の鑑賞は、来館者の心理的・生理的な反応と結びつく可能性があります。ただし、本記事では美術鑑賞そのもののストレス軽減効果を詳しく検証するのではなく、そうした効果をどのように事業設計へ組み込むかを考えます。美術鑑賞とストレス軽減に関する実証研究については、博物館での美術鑑賞はストレスを減らす?で整理しています。

重要なのは、コレクションをウェルビーイング事業の背景に置くのではなく、事業の中心に置くことです。外部講師による健康講座を博物館内で実施するだけでは、博物館ならではの事業にはなりにくい場合があります。資料や作品を介して、参加者が安心して語り、他者の視点に触れ、自分の感覚に注意を向け、地域や歴史との関係を結び直すことができるとき、博物館のウェルビーイング事業は独自の価値を持ちます。コレクションは、単なる展示物ではなく、人びとの記憶、対話、気づきを支える実践の核になるのです。

対象者を明確にする

ウェルビーイング事業を設計する際には、最初に「誰のウェルビーイングを支えるのか」を明確にする必要があります。博物館は公共的な施設であり、多様な来館者に開かれていることが重要です。しかし、事業設計の段階で対象者が曖昧なままだと、目的、方法、連携先、評価方法がぼやけてしまいます。「誰にでもよい事業」は一見すると包摂的に聞こえますが、実務上は、参加者が何を求めているのか、どのような配慮が必要なのか、どの程度の専門連携が必要なのかを判断しにくくなります。

誰のウェルビーイングを支えるのか

対象者を明確にすることは、参加者を限定したり排除したりするためではありません。むしろ、参加しやすい環境を整えるための作業です。一般来館者を対象にする場合は、誰でも気軽に参加できる鑑賞や館内ツアーが適しています。高齢者を対象にする場合は、記憶を語る時間、座って参加できる環境、安心して発言できる雰囲気が重要になります。子どもや親子を対象にする場合は、遊び、探索、親子の対話を促す設計が求められます。

また、学校や学生を対象にする場合は、展示を見るだけでなく、学びやキャリア形成、社会参加と結びつけることができます。地域住民を対象にする場合は、博物館を地域の記憶や交流の場として位置づけることが重要です。さらに、職員を対象にする場合には、来館者向けのプログラムとは異なり、働き方、負担軽減、組織内のケアを含めた設計が必要になります。博物館のウェルビーイングは、来館者だけでなく、職員や地域社会を含む関係性の中で考える必要があります(Cull & Cull, 2023)。

対象者によって設計は変わる

対象者が変われば、同じFive Ways to Well-beingを使う場合でも、事業の形は変わります。たとえば、Take Noticeを重視する場合でも、一般来館者にはスロー・ルッキングが適しているかもしれませんが、親子向けには「気づいたことを一緒に探す」活動の方が参加しやすい場合があります。Connectを重視する場合でも、高齢者には記憶を語る対話、学生にはグループワーク、地域住民には地域史をめぐる交流の場が考えられます。

対象者事業の方向性
一般来館者ゆっくり見る、歩く、学ぶ、気づく
高齢者記憶、対話、安心できる参加
子ども・親子遊び、探索、親子の対話
学生学び、キャリア、社会参加
地域住民交流、地域記憶、居場所
職員働き方、負担軽減、組織内のケア

最初からすべての対象者を包み込もうとすると、結果として誰にとっても参加しにくい事業になることがあります。初期段階では、対象者をある程度絞り、その人たちにとって参加しやすい時間、場所、進行方法、広報、連携先を具体的に考える方が現実的です。そのうえで、実施後の反応を見ながら、対象者を広げたり、別の層に向けた事業へ展開したりすることができます。対象者を明確にすることは、事業を狭めることではなく、無理なく始め、継続可能な形に育てるための基礎になります。

職員のウェルビーイングを無視しない

博物館でウェルビーイング事業を立ち上げるとき、来館者のウェルビーイングだけを考えていると、事業の持続性を見誤ることがあります。来館者にとって安心できる場、話しやすい場、ゆっくり過ごせる場を作ることは重要です。しかし、その場を支える職員に過剰な負担が集中すれば、事業は長続きしません。ウェルビーイング事業は、来館者サービスであると同時に、職員体制、業務配分、研修、評価のあり方を含む組織運営の問題でもあります。

来館者にやさしい事業が、職員に重い負担をかけることがある

ウェルビーイング事業では、通常の展示解説や教育普及事業以上に、参加者の感情、記憶、孤立、不安、生活上の困難に触れる場面が生じることがあります。たとえば、高齢者や認知症の人を対象にした対話型プログラム、孤立しやすい人びとを対象にした交流事業、心身の不調を抱える人も参加しやすい鑑賞会などでは、職員に丁寧な対応力が求められます。こうした対応は、単なる案内業務ではなく、感情労働や調整業務を伴うものです。

来館者にとってやさしい事業であっても、担当職員が一人で準備、広報、参加者対応、関係機関との調整、当日の進行、終了後の記録や評価まで担う場合、その負担は大きくなります。さらに、参加者の反応を受け止めること、困難な場面で判断すること、関係者に説明することが重なると、担当者の熱意だけでは支えきれなくなります。博物館のウェルビーイングを考えるなら、来館者だけでなく、それを担う職員の状態にも目を向ける必要があります(Cull & Cull, 2023)。

担当者の熱意に依存しない体制を作る

ウェルビーイング事業を継続するためには、担当者の個人的な関心や善意に依存しすぎない体制が必要です。もちろん、現場の熱意は新しい事業を始めるうえで重要な力になります。しかし、熱意だけで事業を支えると、担当者が異動したり、業務量が増えたりしたときに継続が難しくなります。事業として位置づけるためには、業務時間、役割分担、研修、振り返り、相談体制、休息の仕組みをあらかじめ設計しておくことが重要です。

確認事項意味
担当者に過度な感情労働が集中しないか参加者対応を一人に背負わせない
事前準備と振り返りの時間があるか実施だけでなく改善の時間を確保する
職員自身の相談体制があるか困難事例を抱え込ませない
上層部の理解があるか一過性イベントではなく組織方針にする
成果指標が過剰になっていないか数値化だけで担当者を評価しない

特に重要なのは、事業の成果を参加者数や満足度だけで判断しないことです。ウェルビーイング事業では、少人数であっても深い対話が生まれる場合や、短期的な成果が見えにくくても参加者との関係が少しずつ形成される場合があります。その一方で、成果を過度に数値化しようとすると、担当者は「よい雰囲気を作ること」と「評価に使える結果を出すこと」の間で負担を抱えやすくなります。

職員のウェルビーイングを考えることは、来館者向け事業を弱めることではありません。むしろ、職員が無理なく準備し、安心して実施し、経験を共有しながら改善できる状態を作ることが、来館者にとっても安定した事業につながります。ウェルビーイング事業を博物館の継続的な取り組みにするためには、プログラム内容だけでなく、それを支える組織の働き方まで含めて設計する必要があります。

医療・福祉・地域団体との連携を設計する

博物館でウェルビーイング事業を行う際には、博物館が担う役割と、医療・福祉・地域団体が担う役割を明確にしておく必要があります。ウェルビーイングという言葉を使うと、博物館が人びとの心身の不調を直接改善したり、治療的な役割を担ったりするように見えることがあります。しかし、博物館は治療機関ではありません。博物館の役割は、医療や福祉の代替ではなく、人と人、人と場所、人と文化をつなぐ公共的な場を作ることにあります。

博物館は治療機関ではない

博物館のウェルビーイング事業では、認知症、孤立、メンタルヘルス、障害、子ども支援など、生活上の困難や社会的な課題に関わる場面が生じることがあります。その際に重要なのは、博物館が専門職の役割を代替しようとしないことです。博物館は診断や治療を行う場ではなく、参加者が安心して過ごし、資料や作品を通じて対話し、社会との接点を持つための場です。博物館での体験が心理的ウェルビーイングに関わる可能性はありますが、それは医療的介入そのものではなく、文化的・社会的な経験として位置づける必要があります(Šveb Dragija & Jelinčić, 2022)。

この区別を曖昧にすると、参加者に過度な期待を持たせたり、職員が対応できない課題を抱え込んだりする危険があります。たとえば、孤立しやすい人を対象にしたプログラムでは、交流の機会を作ることはできますが、生活支援や医療的判断を博物館だけで担うことはできません。認知症の人と家族を対象にした活動でも、展示や対話の場を整えることはできますが、専門的なケアの設計には医療・福祉関係者との連携が必要です。博物館の強みは、治すことではなく、支えること、つなぐこと、気づきを促すこと、孤立を減らすことにあります(Cull & Cull, 2023)。

地域の専門機関と役割分担する

ウェルビーイング事業を継続的に実施するためには、地域の専門機関と役割分担を設計することが重要です。博物館だけで事業を完結させようとするのではなく、医療、福祉、教育、地域活動の担い手と連携することで、参加者にとっても職員にとっても安全で持続可能な事業になります。連携先によって、事業の対象、広報方法、参加者対応、緊急時の判断、評価の視点も変わります。

連携先期待できる役割
地域包括支援センター高齢者、認知症、孤立対策
医療機関健康支援、リハビリ、社会的処方
福祉団体障害者、生活困難者、孤立者への接続
学校・大学学習、評価、若者支援
NPO・市民団体地域参加、ボランティア、継続支援
図書館・公民館日常的な地域接点

たとえば、高齢者向けの鑑賞プログラムを行う場合には、地域包括支援センターや福祉団体と連携することで、参加しやすい広報や当日の配慮を検討できます。学生や若者を対象にする場合には、学校や大学と連携することで、学習やキャリア形成と結びつけることができます。地域住民を対象にする場合には、NPO、図書館、公民館と連携することで、博物館を日常的な地域の接点として位置づけやすくなります。

連携を設計する際には、博物館が何を担い、連携先が何を担うのかを事前に確認しておくことが必要です。博物館は、コレクション、展示空間、学習活動、対話の場を提供できます。一方で、参加者の健康状態への専門的判断、生活支援、継続的な福祉的ケアは、適切な専門機関につなぐ必要があります。この役割分担を明確にすることで、博物館は無理に専門職の役割を引き受けることなく、自館の強みを活かしたウェルビーイング事業を実施できます。博物館の役割は、治療することではなく、人びとが文化や地域との関係を結び直すための場を開くことです。

評価は数値だけに還元しない

ウェルビーイング事業を継続するためには、評価が必要です。参加者数、満足度、アンケート結果、継続率などは、事業の実施状況を把握し、館内で説明するうえで重要な材料になります。特に、予算や人員を確保する場合には、事業がどれだけ利用され、どのように受け止められているのかを示す必要があります。しかし、ウェルビーイング事業の価値を数値だけで判断しようとすると、重要な変化を見落とす可能性があります。

参加者数だけでは体験の質は見えない

ウェルビーイング事業では、参加者が多いことだけが成功を意味するわけではありません。少人数であっても、参加者が安心して発言できた、展示を前にして自分の経験を語れた、他者の見方に触れて新しい気づきを得た、再び博物館に来たいと思えた、という変化が生まれることがあります。こうした変化は、単純な参加者数や満足度だけでは十分に捉えられません。

たとえば、スロー・ルッキングや記憶を語るプログラムでは、参加者の発言量、沈黙の受け止め方、場の安心感、対話の深まりが重要になります。高齢者や孤立しやすい人を対象にした事業では、参加者がその場に来ること自体に大きな意味がある場合もあります。職員にとっても、事業後にどの程度の負担が残ったのか、次回も無理なく実施できるのかは、継続性を判断するための重要な情報です。ウェルビーイング事業の評価では、成果を数値化するだけでなく、場で何が起きていたのかを丁寧に記録する必要があります(Cull & Cull, 2023)。

定量評価と質的な振り返りを組み合わせる

評価を数値だけに還元しないということは、評価そのものを否定することではありません。むしろ、定量的な評価と質的な振り返りを組み合わせることが重要です。参加者数や継続率は、事業の広がりや参加のしやすさを確認するために役立ちます。一方で、自由記述、対話記録、職員の振り返り、連携先との意見交換は、体験の質や関係性の変化を把握するために有効です。

評価すること方法
参加のしやすさ参加者数、継続率、属性
体験の質感想、自由記述、対話記録
関係性の変化参加者同士の会話、再訪、紹介
学び・気づき発言、スケッチ、振り返り
職員負担業務時間、振り返り、担当者の所感
連携の質協力団体との継続性、役割分担

このように評価項目を分けて考えると、ウェルビーイング事業の成果を多面的に把握できます。たとえば、参加者数が少なくても、継続参加が多く、参加者同士の会話が生まれ、職員が無理なく運営できているなら、その事業には継続する価値があります。反対に、参加者数が多くても、職員の負担が過大であったり、連携先との役割分担が不明確であったりする場合には、事業設計を見直す必要があります。

ウェルビーイング事業の評価で大切なのは、「よい結果を示すこと」だけではありません。何がうまくいき、どこに課題があり、次に何を改善すべきかを確認することです。数値は説明のために必要ですが、数値だけでは、安心感、対話、気づき、関係性、職員の実感までは十分に見えません。博物館のウェルビーイング事業を育てるためには、測れるものと測りにくいものの両方を見ながら、実践を振り返る姿勢が求められます。

小さく始め、継続できる形に育てる

博物館でウェルビーイング事業を立ち上げる際には、最初から大規模な完成形を目指す必要はありません。むしろ、持続可能な事業にするためには、小さく始め、実施しながら改善していく方が現実的です。ウェルビーイング事業は、専門的な設備や大きな予算がなければ始められないものではありません。既存展示を使った小規模な鑑賞会、館内ツアー、スロー・ルッキング、史跡散策、ボランティア交流など、すでにある資源を活かした取り組みから始めることができます。

最初から完成形を目指さない

新しい事業を始めるときには、企画書、連携先、広報、評価、予算、職員体制をすべて整えてからでなければ実施できないように感じることがあります。しかし、ウェルビーイング事業では、最初から完成度の高いプログラムを作ることよりも、館のコレクションや空間を使って、どのような体験が生まれるのかを試すことが重要です。たとえば、展示室の一角で少人数の対話型鑑賞を行う、屋外空間を短時間歩きながら気づいたことを共有する、既存のボランティア活動に振り返りの時間を加えるといった小さな工夫から始められます。

小さく始めることは、消極的な選択ではありません。むしろ、参加者の反応を確認し、職員の負担を見極め、館の使命やコレクションに合う形を探るための合理的な方法です。ウェルビーイング事業は、人の感情、関係性、安心感、学び、参加の経験に関わるため、計画段階だけで完全に設計することは困難です。実際に試し、場の反応を読み取り、必要に応じて修正することが、事業の質を高めるうえで重要になります(Cull & Cull, 2023)。

試行、振り返り、改善を繰り返す

小規模な試行を行った後は、一度実施して終わりにせず、参加者と職員の双方から反応を確認する必要があります。参加者が安心して過ごせたか、対話が生まれたか、展示や資料への気づきが深まったか、職員が無理なく運営できたかを振り返ります。その結果をもとに、時間配分、人数、進行方法、広報の仕方、連携先との役割分担を調整していきます。

段階実施内容
準備既存事業をFive Waysで棚卸しする
試行少人数・短時間のプログラムを実施する
振り返り参加者と職員の反応を確認する
連携必要に応じて地域団体や専門機関とつなぐ
継続年間事業、定例事業、地域連携事業へ育てる

たとえば、最初は一般来館者向けのスロー・ルッキングとして始めた事業が、参加者の反応を踏まえて、高齢者向けの記憶を語る鑑賞会へ展開することがあります。あるいは、館内ツアーとして始めた事業が、地域団体との連携によって、定期的な散策プログラムやボランティア交流へ広がることもあります。このように、ウェルビーイング事業は、最初から固定された完成形を作るよりも、試行と改善を重ねながら育てていく方が、館の実情に合いやすくなります。

継続できる形にするためには、事業を担当者個人の努力に閉じ込めないことも重要です。実施記録を残し、振り返りを共有し、必要に応じて地域団体や専門機関と連携しながら、無理のない頻度で継続できる仕組みを作る必要があります。ウェルビーイング事業は、一度のイベントで成果を出すものではなく、来館者、職員、地域との関係を少しずつ育てる取り組みです。小さく始め、確かめながら改善し、継続できる形に整えることが、博物館でウェルビーイング事業を立ち上げるうえで最も現実的な方法です。

まとめ:ウェルビーイング事業は博物館活動の再設計である

博物館のウェルビーイング事業は、特別な健康イベントを新しく追加することだけを意味するものではありません。コレクションを見直し、展示空間の使い方を考え、来館者同士の対話を生み、学びや気づきの時間を設計し、地域との関係を作り直すことが、その中心になります。つまり、ウェルビーイング事業とは、博物館がすでに持っている資料、空間、人材、専門性、地域とのつながりを、来館者や社会のよりよい状態に向けて再構成する取り組みです。

Five Ways to Well-beingは、そのための実践的な入口になります。Connect、Be Active、Keep Learning、Give、Take Noticeという五つの観点を用いることで、展示解説、ワークショップ、館内ツアー、ボランティア活動、地域連携などの既存事業を、ウェルビーイングの視点から見直すことができます。ただし、Five Waysは固定されたマニュアルではありません。それぞれの博物館の使命、コレクション、展示空間、地域の状況、対象者、職員体制に合わせて使い直すべき枠組みです(Cull & Cull, 2023)。

大切なのは、ウェルビーイングを来館者の一時的な満足や癒やしだけに限定しないことです。博物館で人と人がつながり、資料や作品を通じて学び、ゆっくり観察し、自分の経験を語り、地域や社会との関係を結び直すことも、ウェルビーイングに関わる実践です。そのためには、対象者を明確にし、職員の負担を考慮し、医療・福祉・地域団体との役割分担を設計し、数値だけに偏らない評価を行う必要があります。

ウェルビーイング事業を立ち上げるとは、博物館活動そのものを、人と社会のよりよい関係に向けて再設計することです。小さく始め、振り返りながら改善し、館の使命と地域の実情に合った形で継続していくことが、博物館らしいウェルビーイング事業を育てるための基本になります。

参考文献

  • Cull, R., & Cull, D. (2023). Museums and well-being: A toolkit for practice. Routledge.
  • Mackay, L., Egli, V., Booker, L.-J., & Prendergast, K. (2019). New Zealand’s engagement with the Five Ways to Wellbeing: Evidence from a large cross-sectional survey. Kōtuitui: New Zealand Journal of Social Sciences Online, 14(2), 230–244.
  • New Economics Foundation. (2008). Five ways to mental well-being. Government Office for Science.
  • Šveb Dragija, M., & Jelinčić, D. A. (2022). Can museums help visitors thrive? Review of studies on psychological wellbeing in museums. Behavioral Sciences, 12(11), 458.
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国立文化施設にて博物館運営・経営に関する業務に携わっています。
博物館経営、文化政策、ミュージアムDX、教育普及を中心に、実務と研究の両面から情報発信を行っています。

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