はじめに:博物館におけるファンドレイジングの現在地
近年、多くの博物館が運営資金の多様化を迫られています。公的補助金の削減や、入館者数の不安定さが続く中で、館の持続可能性を支えるための戦略的手段として「ファンドレイジング」は注目を集めています。しかし、日本の博物館においては、寄付や支援獲得に関する専門性が未だ制度的に確立されておらず、現場では「どのように始めればよいのか」「何を評価軸にすればよいのか」といった実務的な戸惑いが少なくありません。
特に、民間支援者や地域の個人といった多様なステークホルダーと信頼関係を築き、長期的な支援へとつなげるためには、単なる金銭的目標の達成を超えた価値提示が求められます。寄付行動は、来館者や支援者の心理的要因に深く根ざしており、博物館側がその「動機」を的確に捉え、応答することが重要となります。こうした背景から、ファンドレイジングを「組織戦略」として位置づけ、情報発信、信頼構築、職員育成、インパクト評価などを横断的に捉える必要性が高まっているのです。
本記事では、最新の研究をもとに、博物館が取りうる実践的なファンドレイジング戦略について検討します。特に、支援者に対して「どのような価値を見せるべきか」「どのような手段で伝えるべきか」といった問いに対し、社会的・財務的な側面を統合したシグナリング戦略を中心に論じていきます。この視点は、理論的なアプローチを扱った既存記事(例:博物館ファンドレイジング戦略とは何か)とは異なり、現場での実装可能性と職員の実務判断に寄与することを目的としています。

あわせて、ファンドレイジングを「寄付されやすい組織文化」の醸成という観点から扱った記事(博物館は“寄付されやすい”組織なのか?)とも連携しつつ、本稿ではその組織文化をいかに外部へ可視化し、伝達可能な形に変換していくか、すなわち「信頼される博物館」の設計について焦点をあてていきます。

支援者に「価値」をどう伝えるか ― 社会的・財務的シグナリングの活用法
ファンドレイジングの成果を左右する要因として、近年注目されているのが「支援者への価値の可視化」です。寄付や支援が一方通行の「善意」だけで成り立つ時代は終わり、支援者がその行動にどのような意味を見出すか、どのような成果を期待するかを博物館側が明示する必要性が高まっています。ここで鍵となるのが、「シグナリング(signalling)」という概念です。
博物館が支援者に向けて発信する価値のメッセージは、「社会的シグナリング」と「財務的シグナリング」の2軸に分けて捉えることができます。前者は、教育的使命や地域への貢献といった社会的インパクトを訴求するものであり、後者は寄付金の使途や運用状況を透明に示す財務的な信頼性を示すものです(Camarero, Garrido, & Vicente, 2023)。
具体的には、地域教育に対する貢献実績やSDGsとの連携などの活動をWebサイトやSNSで可視化することが社会的シグナリングにあたります。一方で、年度ごとの寄付収支報告や事業評価レポートの公開は財務的シグナリングとして機能し、支援者が「どのように自分の支援が使われているか」を確認する材料となります。
このようなシグナリングの効果は、既存の支援者との信頼を深めるだけでなく、新規支援者の獲得にも寄与します。寄付の意思決定は非営利組織の透明性と社会的意義の両方によって左右されるとされており、両者のバランスを取った情報発信が必要であることが示唆されています。
さらに、クラウドファンディングの導入に失敗する文化機関の多くは、「社会的メッセージ性の欠如」または「財務報告の不十分さ」に課題を抱えているとされており、単にキャンペーンを立ち上げるだけでは不十分であることが明らかになっています。支援の「意味づけ」を丁寧に設計する必要があるという視点は、実務上も重要です(Rykkja-Bonet, 2025)。
以上のように、ファンドレイジングを成功に導くためには、博物館側が提供する価値を明示的に伝える「シグナリング戦略」が不可欠です。特に、関連記事 「博物館ファンドレイジングの基本戦略」 および 「寄付されやすい組織の条件」 を踏まえると、ミッションの明確化と成果の可視化を組み合わせたアプローチが、より実効性の高い支援者コミュニケーションへとつながるといえます。
信頼を築く組織文化 ― 職員の意識と組織的な仕組みづくり
博物館のファンドレイジングにおいて、単に寄付や助成金を獲得する手法だけでなく、「信頼を育てる文化」がいかに重要かが近年ますます注目されています。個々の担当者がどれほど熱意を持って取り組んでいても、支援者は博物館という組織全体を見て支援の判断を下します。受付での対応、展示解説の内容、パンフレットの文言といった細部に至るまでが、「支援してもよい」と思えるかどうかの判断材料となるのです。
特に、ファンドレイジングを一部の部門の努力に限定するのではなく、全職員がその価値を理解し、日常業務の中で支援者との信頼関係を育む姿勢を持つことが重要です。たとえば、来館者との会話やメール応対といった日常的な接点こそ、支援者の印象に強く残る部分です。これらの接点を「支援のきっかけ」として意識し、組織全体で丁寧にデザインしていくことが、結果的に持続可能な資金調達へとつながります。
このような信頼文化の醸成には、まず職員一人ひとりの意識改革が必要です。ファンドレイジングに対する職員の誇りや意義の理解が、支援者との関係性に大きく影響することが示されています(Teunenbroek, 2023)。現場のスタッフが「自分たちの仕事が支援者の期待に応えている」と実感できるよう、館内でのミーティングや勉強会、支援者からの声の共有といった内発的な取り組みが効果的です。
また、こうした意識を支えるためには、制度的なバックアップも欠かせません。支援者対応のマニュアル整備、支援後の報告・感謝対応のルーティン化、さらにはCRMシステムを活用した情報共有など、組織的な仕組みが信頼を継続的に築いていく土台となります。
たとえば、CRMシステムを活用すれば、支援者の属性や過去の寄付履歴、イベント参加状況などを部署間で一元的に管理でき、引き継ぎや部署間連携も円滑になります。加えて、「クラウドファンディング支援者」「イベント参加者」などのタグ付けや、メール配信ツールとの連携によるセグメント別アプローチも可能となり、支援意欲を高める効果的なコミュニケーション戦略が実現できます。職員が共有された情報を基に一貫性ある対応を行うことは、支援者にとって「信頼できる博物館」と映る大きな要素となります。
支援者への対応が担当者任せになりがちな文化施設において、内部体制の整備がクラウドファンディング等の新しい資金調達手法の定着を左右すると指摘されています(Rykkja-Bonet, 2025)。
ファンドレイジングにおける成功とは、目に見える金額だけでなく、「支援したい」と思ってもらえる関係性を育むことでもあります。その意味で、博物館における信頼文化の醸成は、未来の支援者とのつながりを育てる種まきにほかなりません。制度設計と職員の意識、その両輪が揃ってはじめて、持続可能なファンドレイジングの地盤が築かれるのです。
継続的支援を生む関係設計 ― 支援者ロイヤルティとインパクトの可視化
博物館のファンドレイジングにおいて、一度きりの寄付や短期的な支援だけでなく、いかにして支援者と中長期的な関係を築いていくかが極めて重要です。特に近年は、単発的なクラウドファンディングや助成事業に依存するのではなく、継続的に関わり続けてくれる支援者層をいかに育成するかが経営の安定性に直結するとされています(Teunenbroek, 2023)。そのためには、支援者を一時的な「寄付者」ではなく、「関係性をもつ仲間」として位置づけ直す視点が求められます。
この文脈で注目されているのが、いわゆる「支援者ジャーニー(supporter journey)」という考え方です。来館やSNSでの接点、初回寄付、寄付後のコミュニケーション、そして次なる支援や口コミといった一連のプロセスを通じて、段階的に関係を深めていく設計が必要になります。このような設計をもとに支援者との接点を増やし、信頼と共感を積み重ねていくことが、リピーター支援者の育成につながります。
支援者のロイヤルティを高めるうえで鍵となるのが、寄付後のコミュニケーションです。特に、①成果の「報告」、②心からの「感謝」、③対話を生む「共有空間」の三つの要素が重視されます。たとえば、寄付を受けたあとのプロジェクト報告をただ事務的に送るのではなく、来館者の反応や展示現場のエピソードを交えたストーリーで伝えることで、支援者は自らの貢献が生きた形で活かされていることを実感できます。こうしたナラティブ(物語)の共有が、次なる支援への動機付けとなります。
また、成果の可視化は数値的なインパクトのみならず、情緒的・体験的な側面も含めて設計することが重要です。「○○円の寄付で何ができたか」といった明確な成果に加え、「子どもたちのこんな声が届いた」「展示を通じて高齢者が語り出した」といった利用者の反応を伝えることで、支援者は自らの支援の意味を深く理解することができます。こうしたインパクトの可視化は、ニュースレターやSNSを通じて定期的に届けることが望ましく、特に視覚的コンテンツの活用が効果的です。
さらに、継続支援者との関係性を活かしていくためには、「支援の場」を広げていく視点も必要です。単に寄付をお願いするのではなく、支援者がアンバサダーとして情報発信を担ったり、ボランティアとして関わったりする場の設計が効果を持ちます。ときには、支援者同士がつながれる場(たとえばオンライン座談会や限定イベント)を設けることで、「自分はこの館と関わっている」という一体感が生まれ、持続的な支援へとつながっていきます。
このように、継続的な支援を促すには、単に財務的な見返りではなく、「意味ある関係性」をいかに設計するかが問われます。支援者が「また応援したい」と思える関係性の構築こそが、未来のファンドレイジングを支える基盤となるのです。
ファンドレイジングの持続性を高める仕掛け ― 組織を越えた協働と支援の地盤づくり
博物館におけるファンドレイジングを持続的な仕組みとして育てるには、個館単位の努力だけでは限界があります。社会からの継続的な支援を受けるためには、他の文化施設や地域の多様なアクターと協働しながら、博物館の社会的価値を広く共有していく視点が不可欠です。これは単なる資金集めのテクニックではなく、「支援され続ける理由」を社会に対して提示し続けるための、長期的な戦略でもあります。
まず、地域企業や団体との関係づくりは、その起点となります。例えば、地元企業とのスポンサーシップは、資金面の支援だけでなく、企業の顧客・従業員を博物館に引き込む効果も期待できます。このとき重要なのは、博物館側の一方的な要請ではなく、企業側にとってもメリットのある協働を構想することです。展示会との連動企画や従業員向けの特別観覧制度、CSR報告書での事例掲載など、協働の成果が明確に可視化されるような工夫が信頼の蓄積につながります。
また、他の文化施設や大学、NPOとのネットワーク構築も、ファンドレイジングの質と量を高める上で有効です。たとえば、複数館による共同キャンペーンや、NPOとの協働プログラムを通じて、多様な支援者層へのアプローチが可能になります。こうした横の連携は、単館では得られない知見やノウハウの共有にもつながり、結果としてファンドレイジング活動の実行力を底上げします。
さらに、支援の地盤をつくるためには、博物館としての発信力を高める広報戦略も欠かせません。社会的課題とつながる展示内容や、来館者や支援者の声を可視化した報告書などを通じて、支援の意義を明確に伝えていく必要があります。加えて、支援情報や謝意の伝達を一元的に管理するCRMシステムの導入、内部ガイドラインの整備といった組織的仕組みが、長期的な信頼関係を支える基盤となります。
このように、ファンドレイジングを「特定の担当者が一時的に行う活動」から、「組織として支援を受け続けるための文化と構造」へと高めていくことが求められています。博物館という存在が社会とどのようにつながり、どのように価値を発信していくのか。その問いに対する地道な取り組みが、持続可能なファンドレイジングの未来を拓いていくのです。
まとめ:信頼にもとづくファンドレイジング戦略の再定義
博物館におけるファンドレイジングは、単に資金を得るための手段ではなく、来館者や地域社会との信頼関係を築き、その関係を通じて支援を受けるプロセスとして再定義することが求められます。支援者が寄付や協力を検討する際、単なる情報提供やキャンペーンだけでなく、日々の運営に見える誠実さや対話の姿勢が大きな判断材料になります。したがって、ファンドレイジングの本質は、博物館の公共的な価値と関係性をどう可視化し、共有していくかにかかっています。
本記事では、ファンドレイジング戦略を5つの視点から整理しました。まず、支援者にとっての価値を社会的・財務的に伝える「シグナリング」の重要性を明らかにし、支援の動機づけに直結する要素を探りました。次に、館内の情報共有やCRMシステムの活用を通じて、信頼にもとづく支援者対応の基盤づくりを検討しました。続く節では、支援の「成果」をどのように可視化し、支援者に伝えるかという点から、報告と感謝の実践を問い直しました。さらに、ファンドレイジングに関わる職員自身の意識と誇りが支援者との関係性に大きな影響を及ぼすことを確認し、教育・共有の仕組みの必要性を指摘しました。最後に、館外のパートナーと協働する仕組みや制度について整理し、博物館が単独で完結するのではなく、関係性を広げる文化施設であることの意義を強調しました。
これらの視点はすべて、部分的な施策ではなく、館全体で一貫して取り組むべき「文化」として捉える必要があります。例えば、展示の企画や広報、教育普及といった部門が個別にファンドレイジングに貢献していても、それが全体としてつながっていなければ、支援者に対する説得力や安心感を生み出すことは困難です。ファンドレイジングとは、組織横断的に信頼を積み上げていく長期的なプロセスであり、その戦略は博物館全体の経営方針と整合していなければなりません。
同時に、こうした信頼の積み重ねを通じて、博物館の「公共性」も再定義されます。もはや公共性とは、行政による支援を受けていることだけではなく、多様な支援者が関与し、博物館の価値をともに育てていくことによって体現されるべきです。クラウドファンディングや寄付だけでなく、ボランティア活動、SNS上の応援、パートナーシップ構築など、支援の形はますます多様化しています。そのような中で、博物館が関係資本を蓄積し、持続可能な社会的基盤を構築していくには、信頼と協働の文化を中心に据えた戦略的ファンドレイジングが不可欠です。
本記事で提示した視座や実践例は、既存の理論枠組みを補完しつつ、現場の多様な状況にも対応可能なアプローチを意識しています(関連リンク:「博物館ファンドレイジング戦略とは何か」「博物館は寄付されやすい組織なのか」)。未来の支援者との関係を育むために、今こそ博物館はファンドレイジングを「戦略」ではなく「文化」として捉え直すことが必要です。
参考文献
- Camarero, C., Garrido, M. J., & Vicente, E. (2023). Social and financial signalling to increase fundraising revenue in museums. Journal of Nonprofit & Public Sector Marketing, 35(2), 144–164.
- Rykkja-Bonet, M. (2025). From intent to inaction: Factors conditioning cultural institutions from embracing crowdfunding as a revenue strategy. Journal of Arts Management, Law, and Society, 55(1), 29–47.
- van Teunenbroek, C., & Smits, R. (2023). Four lessons learned: Employees’ perceptions of fundraising via reward‐based crowdfunding. Journal of Philanthropy and Marketing, 28(3), e1793.