なぜ若い世代は博物館に行かないのか|非来館を合理的判断として読み解く

目次

はじめに:若者の「博物館離れ」は本当に関心の低下なのか

若い世代が博物館に足を運ばなくなっている、という指摘はしばしば耳にします。その原因として最も多く語られるのが、「若者は博物館に興味がない」「デジタル世代は本物に関心を示さない」といった説明です。しかし、この見方は直感的で分かりやすい一方で、博物館の政策や経営を考えるうえでは十分とは言えません。関心の有無だけで来館行動を説明してしまうと、なぜ来ないのか、どこで選択から外れているのかが見えなくなるからです。

本記事では、若者が博物館に行かない理由を「関心の低下」という感覚論で片づけるのではなく、行動選択としての合理性という視点から捉え直します。若者は本当に博物館を拒絶しているのか、それとも別の理由によって来館という選択を見送っているのか。その違いを見極めることは、若者向け施策を考える以前に、博物館がどのような来館者像や行動様式を前提に設計されてきたのかを問い直す作業でもあります。本記事では、研究知見を手がかりに、若者の非来館がどのような判断の結果として生じているのかを整理していきます。

博物館に行かないのは「無関心」だからなのか

「行かない」という行動をどう説明するか

博物館に関する議論では、「なぜ人は博物館に来たのか」という来館理由に焦点が当てられることが少なくありません。満足度調査や動機調査も、多くの場合は来館者を対象として行われます。しかし、このアプローチだけでは、「なぜ来なかったのか」「なぜ選ばれなかったのか」という問いはほとんど扱われません。結果として、来館しない人々、とりわけ若者の行動は「興味がないから」「関心が薄いから」という一言で処理されがちになります。

けれども、何かをしなかったという行動もまた、意思決定の結果です。映画に行かなかった、旅行をしなかった、博物館に行かなかったという選択には、それぞれ理由があります。来館者だけを見ていては、博物館が社会の中でどのように位置づけられ、どの段階で選択肢から外れているのかは見えてきません。若者の非来館を理解するためには、「行かなかった理由」そのものを説明対象として正面から扱う必要があります。

問題は若者ではなく、説明の枠組みにある

若者が博物館に行かないという事実を、若者の態度や価値観の問題として語ることは容易です。しかし、その説明は往々にして若者批判に回収され、博物館側の前提や設計を問い直す視点を欠いてしまいます。もし非来館の理由を「最近の若者は文化に関心がないから」と結論づけてしまえば、そこから先の改善や検討は進みません。

本当に問うべきなのは、博物館がどのような来館者像や行動様式を暗黙の前提としてきたのか、そしてそれが現在の若者の生活や意思決定とどのように噛み合っていないのか、という点です。次章以降では、若者の非来館を個人の資質や態度の問題としてではなく、生活構造、価値判断、余暇のあり方といった構造的要因から順に検討していきます。

若者の生活構造から見た博物館のハードル

文化参加は「好み」ではなく「生活条件」で決まる

文化活動への参加は、しばしば個人の嗜好や関心の問題として語られます。しかし、文化参加研究では、何に参加するか以前に「参加できるかどうか」が生活条件によって大きく左右されることが指摘されてきました。人は自由な意思だけで文化活動を選んでいるのではなく、年齢、就業状況、可処分時間、生活の安定度といった条件のもとで、現実的に可能な選択肢を取捨選択しています。

とりわけ若年層は、学業や就労が不安定で、生活リズムも一定しにくい傾向があります。自由時間があっても、それは断片的で先の見通しが立ちにくく、長時間を一つの活動に充てることが難しい場合が少なくありません。このような条件のもとでは、参加にあたって時間や集中を要する文化活動は、好み以前に選択肢から外れやすくなります。文化参加は意欲の問題というよりも、生活に無理なく組み込めるかどうかという条件によって左右されているのです(Chan & Goldthorpe, 2007)。

博物館はなぜ「コストの高い行動」に見えるのか

この視点から見ると、博物館来館は若者にとって参加コストの高い行動として認識されやすいことが分かります。まず、博物館ではどれくらいの時間が必要なのかが事前に分かりにくく、短時間で切り上げられるのか、まとまった滞在が前提なのかを判断しづらいという特徴があります。また、展示内容によって得られる体験や満足感が事前に具体的に想像しにくく、行ってみなければ成果が分からない活動でもあります。

若年層の生活構造を前提にすると、こうした不確実性は大きな負担として作用します。限られた自由時間の中で、成果が読めず、途中での離脱もしにくい行動は、合理的に回避されやすいからです。これは博物館の価値が低いからではなく、若者の生活条件と博物館来館という行動の性質が噛み合っていないことに起因します。博物館が若者にとって「行きにくい場所」になっている背景には、関心の有無ではなく、生活構造とのミスマッチという問題が横たわっているのです(Chan & Goldthorpe, 2007)。

「価値がない」のではなく「価値が判断できない」

来館行動は段階的な意思決定である

博物館への来館は、思いつきで突然生じる行動ではありません。多くの場合、人は段階的な判断を経て「行く・行かない」を決めています。まず、その施設や展覧会の存在を知り、次にそれが自分と関係のあるものかどうかを考え、さらに時間や費用を使う価値があるかを判断したうえで、ようやく実際の行動に移ります。来館に至らないケースの多くは、この過程のどこかで判断が止まっていると考えられます。

特に若者の場合、「関係があるかどうか」を判断する段階で離脱が起こりやすい傾向があります。博物館や展示が社会的に重要であることは理解できても、それが自分自身の生活や関心とどのようにつながるのかが見えなければ、次の判断に進む理由が生まれません。その結果、否定的な評価を下すわけではないものの、「今は行かなくてよい」という判断に落ち着きます。これは無関心ではなく、意思決定プロセスの途中で生じる合理的な離脱だと捉えることができます(Kotler et al., 2008)。

若者が「悪くなさそうでも行かない」理由

多くの博物館では、展示の意義や学術的価値が丁寧に説明されています。しかし、その説明はしばしば抽象度が高く、来館者が自分自身の体験として何を得られるのかを具体的に想像するには不十分な場合があります。「重要なテーマ」「貴重な資料」といった表現は、価値の高さを示す一方で、若者にとっては自分事として判断するための材料になりにくいのです。

日常生活との接点が明確に示されないままでは、博物館は「悪くはなさそうだが、今でなくてもよい場所」として位置づけられます。この状態では、来館しないという選択は消極的な拒否ではなく、数ある選択肢の中から他の活動が優先された結果にすぎません。若者の非来館は、価値を否定した結果ではなく、価値を判断するための情報が不足していることによる非選択だと理解できます。博物館が若者に選ばれにくい背景には、関心の欠如ではなく、判断材料の提供の仕方に課題があるのです(Kotler et al., 2008)。

余暇としての博物館が抱える構造的な問題

若者の余暇が求める条件とは何か

若者の余暇行動を理解するうえで重要なのは、余暇が単なる「空いた時間」ではなく、教育や労働とは異なる性質をもつ時間として位置づけられている点です。学校や職場では、成果や効率、達成度が常に評価の対象となり、正解や基準に沿った行動が求められます。それに対して余暇は、そうした評価や比較から一時的に解放されるための時間として選ばれる傾向があります。

若者の余暇において重視されるのは、うまくできたかどうかを問われないこと、正しいやり方を求められないこと、他者と比較されないことです。自分のペースで関われ、結果を出さなくても許されるという感覚が、余暇を余暇たらしめています。教育や労働の場で緊張や負担を感じているほど、余暇にはその反対の性質が強く求められるようになります。この点を踏まえると、若者がどのような活動を余暇として選ぶのかは、楽しさ以上に「評価されなさ」によって左右されていることが分かります(Roberts, 2011)。

博物館が「緊張を伴う空間」に見える理由

こうした余暇観から博物館を見ると、若者が博物館を余暇の選択肢として捉えにくい理由が浮かび上がります。博物館は、学びの場として高く評価されてきた一方で、知識や理解を前提とする空間として認識されやすい側面を持っています。展示を「正しく理解しなければならない」「何かを学ばなければならない」という無言の圧力は、若者にとって緊張を伴うものとして受け取られがちです。

分からないまま展示を見ることや、十分に理解できなかったと感じることが、居心地の悪さにつながる場合もあります。このような空間では、評価されないことや正解を求められないことを重視する若者の余暇観と衝突が生じます。その結果、博物館は「勉強の延長」のように感じられ、余暇として積極的に選ばれにくくなります。若者が博物館を避けるのは、学びそのものを否定しているからではなく、余暇に求める条件と博物館の空間特性が噛み合っていないためだと理解できます(Roberts, 2011)。

若者の意思決定心理から見た博物館体験

失敗を避ける世代の合理性

若年層の行動選択を理解するうえで重要なのが、「emerging adulthood」と呼ばれる発達段階の特徴です。この段階にある若者は、進学や就職、居住地や人間関係など、人生の基盤に関わる多くの選択を同時に抱えています。そのため、日常的に将来の不確実性に直面しており、選択を誤ることへの心理的負担も大きくなりがちです。

このような状況では、若者は衝動的になるどころか、むしろ慎重で合理的な判断を行う傾向を強めます。時間や労力を投じた結果がどうなるか分からない行動や、満足できるかどうかが事前に見通せない活動は、できるだけ避けようとします。これは消極性ではなく、限られた資源を無駄にしないための合理的な意思決定です。若者に見られる「失敗を避ける」姿勢は、この発達段階に特有の環境条件から生じていると整理できます(Arnett, 2015)。

博物館体験はなぜ「リスクのある選択」になるのか

この意思決定心理を踏まえると、博物館体験が若者にとってリスクを伴う選択として認識されやすい理由が見えてきます。博物館では、展示が自分にとってどれほど面白いのか、どのような学びや満足感が得られるのかを、来館前に正確に予測することが難しい場合が多くあります。面白さや成果が事前に分からないという不確実性は、若者の慎重な意思決定と相性が良いとは言えません。

さらに、来館後に「思ったほど楽しめなかった」「時間を無駄にしたかもしれない」と感じる可能性は、若者にとって後悔リスクとして意識されます。その結果、博物館に行かないという選択は、関心がないからではなく、後悔を避けるための予防的判断として行われます。若者の非来館は、価値を否定する行為ではなく、不確実な結果を避けるための合理的な回避行動だと理解することができます(Arnett, 2015)。

若者が博物館に行かない理由の統合的整理

非来館は合理的判断である

ここまで見てきたように、若者が博物館に行かない理由は、単一の要因で説明できるものではありません。生活構造、価値判断に必要な情報、余暇に求める条件、そして意思決定心理といった複数の要素が重なり合い、その結果として「行かない」という選択が生じています。重要なのは、これらがいずれも若者側の欠如や未熟さを示すものではなく、現在の社会条件のもとではきわめて理解可能な判断だという点です。

まず、若者の生活構造を前提にすると、博物館来館は時間や集中を要し、成果も事前に見えにくい行動として認識されやすくなります。限られた可処分時間の中で、確実性の低い行動を避けるのは合理的です。加えて、博物館の価値はしばしば抽象的に語られ、来館前の段階で自分との関係性や具体的なベネフィットを判断しにくい状態にあります。この情報不足は、否定ではなく保留や非選択という形で来館を遠ざけます。

さらに、余暇としての観点から見ると、博物館は評価や理解を求められる場として知覚されやすく、若者が余暇に求める「正解のなさ」や「気楽さ」とは緊張関係にあります。そのうえで、若年層特有の慎重な意思決定心理が加わることで、結果が不確実で後悔の可能性がある行動は回避されやすくなります。こうして見ると、非来館は無関心の表れではなく、複数の条件を踏まえた合理的な判断の帰結だと位置づけることができます。

若者が博物館に行かないという事実は、若者の問題というよりも、博物館がどのような行動様式や生活条件を前提に設計されてきたのかを映し出しています。非来館を理解することは、博物館の価値を否定することではなく、その価値がどのように届いていないのかを見極めるための出発点なのです。

博物館経営論への含意

問われているのは「若者対策」ではない

若者が博物館に行かないという状況に対して、しばしば若者向けイベントの開催やSNS発信の強化といった対策が検討されます。これらの取り組み自体を否定する必要はありませんが、それだけでは問題の核心に届かない場合が多いのも事実です。なぜなら、非来館の背景には個別施策で解消できる表層的な問題ではなく、博物館がどのような来館者像や行動様式を前提に設計されてきたのかという、より根本的な問いが潜んでいるからです。

若者を「呼び込む対象」としてのみ捉える発想は、無意識のうちに若者側を変数とし、博物館側を固定したままにしてしまいます。しかし、本当に検討すべきなのは、展示構成や情報提供、滞在のあり方そのものが、どのような生活条件や意思決定を想定しているのかという点です。若者が来ない理由を理解することは、対症療法的な若者対策から距離を取り、博物館の設計思想そのものを見直す契機になります。

博物館は誰にとって選びやすい文化施設か

非来館を合理的判断として捉えたとき、次に浮かび上がるのは「博物館は誰にとって選びやすい文化施設なのか」という問いです。現状の博物館は、時間に余裕があり、一定の知識や経験を前提に行動できる人にとっては利用しやすい一方で、生活が不安定で判断コストに敏感な層にとっては選びにくい存在になっている可能性があります。この偏りは、意図せず生じてきたものかもしれませんが、経営の観点からは見過ごせません。

博物館の公共性とは、すべての人に同じ内容を提供することではなく、異なる条件をもつ人々が選択肢としてアクセスできる状態をいかに整えるかにあります。若者の非来館を手がかりに来館者像を再検討することは、博物館経営における持続可能性や社会的役割を再定義する作業でもあります。誰にとっても選びやすい文化施設であるために、博物館は自らの前提を問い続ける必要があります。

まとめ

本記事では、若い世代が博物館に行かない理由を、「関心の低下」という分かりやすい説明に回収するのではなく、行動選択としての合理性という観点から整理してきました。生活構造の制約、価値を判断するための情報の不足、余暇に求められる条件との不一致、そして不確実性を避けようとする意思決定心理。これらが重なり合うことで、博物館に行かないという選択が生じていることが見えてきます。

重要なのは、この非来館が若者の無関心や文化的未熟さを示すものではないという点です。むしろ、現在の社会条件のもとで合理的に行動した結果として理解することができます。若者が博物館を選ばないのは、価値を否定しているからではなく、判断に必要な条件が整っていない、あるいは選択肢として優先されにくい状況に置かれているからです。

若者の非来館を正面から捉えることは、博物館の価値を貶める行為ではありません。それは、博物館がどのような来館者像や行動様式を前提に成立してきたのかを問い直し、公共文化施設としてのあり方を再考するための重要な手がかりになります。博物館が社会の中でどのように選ばれ、どのように関わられていくのか。その前提を見直す視点こそが、これからの博物館経営と教育を考えるうえで欠かせないものだと言えるでしょう。

参考文献

Arnett, J. J. (2015). Emerging adulthood: The winding road from the late teens through the twenties (2nd ed.). Oxford University Press.
Chan, T. W., & Goldthorpe, J. H. (2007). Social stratification and cultural consumption: Music in England. European Sociological Review, 23(1), 1–19.
Kotler, N., Kotler, P., & Kotler, W. I. (2008). Museum marketing and strategy (2nd ed.). Jossey-Bass.
Roberts, K. (2011). Leisure: The importance of leisure. Routledge.

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この記事を書いた人

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日々の業務経験をもとに、ミュージアムの楽しさや魅力を発信しています。このサイトは、博物館関係者や研究者だけでなく、ミュージアムに興味を持つ一般の方々にも有益な情報源となることを目指しています。

私は、博物館・美術館の魅力をより多くの人に伝えるために「Museum Studies JAPAN」を立ち上げました。博物館は単なる展示施設ではなく、文化や歴史を未来へつなぐ重要な役割を担っています。運営者として、ミュージアムがどのように進化し、より多くの人々に価値を提供できるのかを追求し続けています。

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